2012年4月12日木曜日

伯耆(ほうき)の境港から出雲の佐田へ移ったのは誰か?



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録27:17頁

 《伯耆(ほうき)の境港から出雲の佐田へ移ったのは誰か?
 「伯耆(ほうき)の境港から出雲の佐田へ移ったのは誰か?

 しかし彼女は出雲にも出水にも引退したりはしていない。

 それはまた別の<大国主>の史実を物語っているのである。

 私たちが既にみてよく知っているものから見ていこう。

 大阪湾国生みの主人公は伊邪木和気・履中天皇で<イザナキ>の命だった。

 その子が<天照大神>と<スサノオ>であるはずだが、

 天照大神に近い<青>・<ア>、<海>・<マ>=青海郎女はいるが、

 <スサノオ>に合う皇子はいない。

 その代わり弟に<墨江中王>がいて、

 次の倭王・済(スミ)と同じ発音をもっている。

 かれは讃・珍・済で五王の3番目だから、済(ス)三(サ)の王(オ)でもある。

 事実、彼は兄の皇位を奪おうと皇居に放火、

 天皇は阿知の直(あたえ)に救われて逃げ出すという行為も

 また<スサノオ>そのものである。

 しかし家臣の隼人に殺されて、誰も出雲へは行かない。

 では出雲へ行ったのは誰か?、

 移った跡に必ず残す

 「<サカイ>や<サカ>→<サタ>」という皇族の移住に伴う

 [地名遺物の定則]を活用すると、

 <伯耆の境港>から<出雲の佐田>へ移った人物が、

 唯一あるだけである。

 しかしそれを『記・紀』はどちらも書かない。なぜか?。

 出雲神話と呼ばれてきたものは、

 それを書かないことが「目的」で書かれた「秘史」なのだからである。

 当事者は『原・日本書紀』を作った天智天皇であり、

 彼に皇位を追われた天皇以外にはない。

 倭国を譲った<倭(オオ)国主>が<大国主>で、

 勝ったのが<スサノオ>・天智天皇なのである。

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
 『言語復原史学会:画像』

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