ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年4月16日月曜日
『記・紀』は絶対に『説話集』ではない
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録27:21頁
『『記・紀』は絶対に『説話集』ではない』
「『記・紀』は絶対に『説話集』ではない」
では『記・紀』は「説話集」なのであろうか?。
『日本書紀』は持統天皇まで書き、
後になるほど正確な記録の量が殖える。
また神代部分も「一書」をみると、
記事にかなりの違いがあるものの全体像は同じである。
当時の情報の伝わり方を考えると
それらは現実にあった事件の記録だと証言している。
石比売の嫉妬も説話ではなく史実だとみるしかない。
この結論には、もう1つ強力な証拠がある。
それは安寧天皇以下、
開化天皇までの7代が事件記事を全くもたず、
在来の学者から「欠史天皇」と呼ばれていた事実である。
ところがもうお判りのように、
孝霊天皇は経津(ふつ)主と
「フツのミタマの持ち主」として実在が確認でき、
孝元天皇=彦国牽(ひこくにぴく)も、
「崇神天皇紀」の彦国葺(ひこくにぶく)と同一人だとわかっているから欠史ではない。
それに説話集なら幾らでも記事は書けるから、
欠史天皇をそのままにしておく必要はない。
それが書かれずにいるのは、
『記・紀』は「説話集」ではないという強い証拠なのである。
それなのに頭から「『記・紀』は「人造亡霊だった」とか
「日本書紀は8割がウソだった」
(原田常治『古代日本史』)というようなことを、
自慢げに書いた本が実在する。
そんな人の書いたものを信じる人がいると思うと、
ただでさえ軽蔑されてきた日本人と皇室は、
その噂だけで、世界の片隅へ追いやられ、
テロの手頃な標的にされることになる。
『参考』
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