2012年4月16日月曜日

『記・紀』は絶対に『説話集』ではない



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録27:21頁

 『『記・紀』は絶対に『説話集』ではない
 「『記・紀』は絶対に『説話集』ではない

 では『記・紀』は「説話集」なのであろうか?。

 『日本書紀』持統天皇まで書き、

 後になるほど正確な記録の量が殖える。

 また神代部分も「一書」をみると、

 記事にかなりの違いがあるものの全体像は同じである。

 当時の情報の伝わり方を考えると

 それらは現実にあった事件の記録だと証言している。

 石比売の嫉妬も説話ではなく史実だとみるしかない。

 この結論には、もう1つ強力な証拠がある。

 それは安寧天皇以下、

 開化天皇までの7代が事件記事を全くもたず、

 在来の学者から「欠史天皇」と呼ばれていた事実である。

 ところがもうお判りのように、

 孝霊天皇は経津(ふつ)主と

 「フツのミタマの持ち主」として実在が確認でき、

 孝元天皇=彦国牽(ひこくにぴく)も、

 「崇神天皇紀」の彦国葺(ひこくにぶく)と同一人だとわかっているから欠史ではない。

 それに説話集なら幾らでも記事は書けるから、

 欠史天皇をそのままにしておく必要はない。

 それが書かれずにいるのは、

 『記・紀』は「説話集」ではないという強い証拠なのである。

 それなのに頭から「『記・紀』は「人造亡霊だった」とか

 「日本書紀は8割がウソだった」
 
 (原田常治『古代日本史』)というようなことを、

 自慢げに書いた本が実在する。

 そんな人の書いたものを信じる人がいると思うと、

 ただでさえ軽蔑されてきた日本人と皇室は、

 その噂だけで、世界の片隅へ追いやられ、

 テロの手頃な標的にされることになる。

 『参考』
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 『言語復原史学会:画像』 
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