ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年4月20日金曜日
大国主天皇とマッカーサー・ニニギの命の国譲り
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録27:25頁
『大国主天皇とマッカーサー・ニニギの命の国譲り』
「大国主天皇とマッカーサー・ニニギの命の国譲り」
それが必然的に行き着く所は、
本来の国是とは正反対の、侵略、拡大政策だった。
天皇家の「八紘一宇」は、
強盗の偽装用美辞麗句に転落してしまった。
だから敗戦は当然のことだったのである。
そして満洲国という大国が生まれた。
一見、
中国が前皇帝に国を譲った形に見えたが、
それは大国主の国譲りとは、
似ても似つかぬ偽物だった。
その場げ句の果ては連合軍の猛攻撃に晒されて、
日本列島は焼け野が原になり、
短期間だが大日本帝国はマッカーサーに国を譲って、
被占領国になり下がってしまった。
この時の大国主命は昭和天皇。
譲られたのはアメリカ人のマッカーサー・ニニギのミコトだったのである。
これもまた
『記・紀』の『神託』『予言』通りであって、
それに逆らった<建御名方の神>も追い詰められて戦犯として処刑された。
先祖が辛苦して築き上げ、
その維持発展の鉄則を書き残してくれていたのに、
それに逆らって、まるで反対のことをしたために、
マッカーサーより偉くない天皇が出現してしまったのである。
この事実をただ口先で糊塗して責任を回避し、
逆にそれ見たことかと罵倒した左翼学者もいたが、
彼等が残した哀れな『記・紀』観は、見るに耐えない。
しかしそれも真実の『記・紀』の哲学の高さを証明するよすがにはなる。
それは、明治以降の愚行をもう二度と繰り返さないための、
『心の鍵』として役立てるしかないが……。
『参考』
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