ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年4月13日金曜日
決め手は天の叢雲(むらくも)の剣、スサノオ=天智天皇
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録27:18頁
《決め手は天の叢雲(むらくも)の剣、スサノオ=天智天皇》
「決め手は天の叢雲(むらくも)の剣、スサノオ=天智天皇」
その証拠は、八俣大蛇から得た「天の叢雲の剣」が、
皇位継承の証しである三種の神器だからである。
天智天皇はそれを倭国主から手に入れたが、
それは武器だから仏教女王の斉明天皇の持ち物ではない。
彼女は慈悲と愛情の標(あか)しである玉、
すなわち数珠(じゅず)しかもっていない。
鏡は男王の<ニニギの命>に下賜されたのだから、
日を管轄する日本国王・天智天皇自身が伝承していた。
この時の八俣大蛇は前任の男帝以外にはありえない。
しかし天皇を倒して、
自分が天皇になったと宣伝したのでは、自分の子孫も同じ目に遭う。
それでは万世一系は望めない。
『日本書紀』は、
斉明女帝の狂死は書くが、男の天皇の譲位は書かない。
ただ当時の国民は皆、事実を知っていた。
だからその人々が非難しない程度の仮名を使って、
「蘇我入鹿」を退治した、
ということにしたのが大化改新記事の真相なのである。
だが後の皇室はそれも許さなかった。
天智天皇を祭る神社は『延喜式』にもなく、
現代も近江神宮は官幣社にも国幣社にも入れない。
天皇家ははっきり区別をつけている。
しかし彼の故郷・鹿児島県の枚聞神社は彼を祭り、
祭礼には彼が木(コ)の花開(サク)耶(ヤ)姫と登場する。
しかし『延喜式』は薩摩国の枚聞神社を小社のうちに加え、
明治4年に国幣小社に加えたが、
神社自身も、公式には祭神は天照大神か海神か不明の神だとして、
天智天皇を削っている。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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