2012年4月13日金曜日

決め手は天の叢雲(むらくも)の剣、スサノオ=天智天皇



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録27:18頁

 《決め手は天の叢雲(むらくも)の剣、スサノオ=天智天皇
 「決め手は天の叢雲(むらくも)の剣、スサノオ=天智天皇

 その証拠は、八俣大蛇から得た「天の叢雲の剣」が、

 皇位継承の証しである三種の神器だからである。

 天智天皇はそれを倭国主から手に入れたが、

 それは武器だから仏教女王の斉明天皇の持ち物ではない。

 彼女は慈悲と愛情の標(あか)しである玉、

 すなわち数珠(じゅず)しかもっていない。

 鏡は男王の<ニニギの命>に下賜されたのだから、

 日を管轄する日本国王・天智天皇自身が伝承していた。

 この時の八俣大蛇は前任の男帝以外にはありえない。

 しかし天皇を倒して、

 自分が天皇になったと宣伝したのでは、自分の子孫も同じ目に遭う。

 それでは万世一系は望めない。

 『日本書紀』は、

 斉明女帝の狂死は書くが、男の天皇の譲位は書かない。

 ただ当時の国民は皆、事実を知っていた。

 だからその人々が非難しない程度の仮名を使って、

 「蘇我入鹿」を退治した、

 ということにしたのが大化改新記事の真相なのである。

 だが後の皇室はそれも許さなかった。

 天智天皇を祭る神社は『延喜式』にもなく、

 現代も近江神宮は官幣社にも国幣社にも入れない。

 天皇家ははっきり区別をつけている。

 しかし彼の故郷・鹿児島県の枚聞神社は彼を祭り、

 祭礼には彼が木(コ)の花開(サク)耶(ヤ)姫と登場する。

 しかし『延喜式』は薩摩国の枚聞神社を小社のうちに加え、

 明治4年に国幣小社に加えたが、

 神社自身も、公式には祭神は天照大神か海神か不明の神だとして、

 天智天皇を削っている。

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
 『言語復原史学会:画像』

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