ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年4月21日土曜日
女王制の根源はカリエン勢力の拡張
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録10:12頁
《女王制の根源はカリエン勢力の拡張》
「女王制の根源はカリエン勢力の拡張」
『倭人章』にはこのほかに
「所 有無 與 儋耳 朱崖 同」とある。
この儋耳・朱崖は中国広東省の海南島にあった地名で、
現在の儋県と瓊山県に当たるが、
そこの住民の主流は、黎(リ)族と呼ばれるカリエン人である。
そのカリエン人が古代沖縄の貝貨産業の中核であったことは、
私の研究で今では広く内外に知られているが、
その遺物が現在も
「読谷花織」=ユンダンハナウイ」という特殊な織物技術として残り、
江戸時代に描かれた風俗画でも、
沖縄の人々が『倭人章』が書く倭人の貫頭衣をなお着ており、
女性の宗教的指導者が海漁を船上で指揮している姿が生々しく描かれている。
この人々の本流は現在ではミャンマーからタイの奥地、
中国雲南省へかけて住んでいるが、
その伝統的服装は、以上の貫頭衣そのままであり、読谷花織と同じものを今も織り、
今も部族によって異なる入れ墨を伝統として彫っている。
さらに何にも増して面白いのは、
現代も女性首長制度が守られていることで、
卑弥呼政権の女王制度が何によって生まれたものか、はっきりと教えてくれる。
「もと男王制」だったものが、女王制に変わり、
卑弥呼の死後も大乱のタネになったのは、
このカリエン人勢力が拡張して指導権を撮ったためだったと、
細部まで、はっきり理解できるのである。
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