ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年4月2日月曜日
本物の殷觥は皇帝の干支を象(かた)どる
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録27:7頁
《本物の殷觥は皇帝の干支を象(かた)どる》
「本物の殷觥は皇帝の干支を象(かた)どる」
この兕觥と呼ばれてきた遺物の仲間は、
学者たちが北京の南南西にある安陽で、
昭和3年に殷帝国の都の跡「殷墟」を突き止めたことで一挙に研究が進み、
「それは司馬遷が『史記』の「殷本紀」に青いている兕觥であろう」
と見当をつけたことから、
『兕觥』と呼ぶことになったのだが、
これが世界の美術館やコレクターの関心を呼び、
希少性の高さからますます値が吊り上がって、
今ではゴッホの最高作品2~3点分の価格が相場になっている。
しかし私が検討してみたところ、
現在世界にある十数点のうち、
本当の殷の遺物は数点しかなく、
あとは周代以後のものであること。
殷のものは正確には『兕觥』とは呼べず、
本当の『兕觥』は世界で唯一、
私が所蔵するものだけであることなどが立証された。
それは何故か?。
先にお話ししたとおり、紂王は本当は丑年生まれだから、
彼等の干支信仰の牛の女神『兕』を象どって造らせたものであった。
世界の兕觥を見ると、
殷のものとわかる古いもの数点は干支にある動物だとわかる姿を表現しているが、
その他のものは象や麒麟や亀の形に作られている。
私たちが
「『兕觥』ではないものを兕觥と呼ぶのは間違っている」と指摘したので、
それ以後は象頭兕觥とか羊頭兕觥とか虎頭兕觥などと名を変えたが、
酒器なのだから「觥=ジョッキに近いもの」と呼ばねばならないのに、
それでもまだ○○兕觥と呼び続けている。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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