ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年4月21日土曜日
建国の大理想を根底から破壊する幼稚本の実例
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録27:26頁
『建国の大理想を根底から破壊する幼稚本の実例』
「建国の大理想を根底から破壊する幼稚本の実例」
今、出雲や各地にある<大国主>を祭る神社は、
本質的には前君主をしのんで建てられた御霊(みたま)の(よ)拠りしろであって、
そこへお参りするたびに、以上のような先人の知恵を想い出し、
戒(いましめ)めとするための、英知の産物だったのである。
しかし賢者ばかりはいない。
時代とともに物知りぶった連中が、
根拠もなしに勝手な解釈を人々に押しつけて、
その社に祭られている本当の神霊を冒涜し、
偽物の名を並べたてて化け物の住みか同然にしてしまっている。
それをさらに先の原田某のように、
売本に仕立てて売るという者まで現われるのが実情である。
それは4大文明の結晶として天皇家が生まれた英知の結晶『神道』を、
まるで田舎の野蛮な迷信の野祠(ほこら)同然のものに貶(おとし)め、
天皇家の大理想を根底から破壊しているばかりでなく、
住民も迷信としてかえりみなくなり、
荒廃にまかせる悲惨な状況を助長しているからである。
彼は大国主をこう説明している(『古代日本正史』342P)。
*出生年は、大体160年頃と推定される。
出生地は出雲の隅々敷谷(くまぐましきや)、
現在の飯石郡三刀屋(みとや)町熊谷である。
ここは、あとでわかった
大国主の館の跡三刀屋町給下(きゅうげ)から南に下りた場所である。
父母は不明。
180年頃、
素佐之男尊の末子、
相続人である須勢理(すせり)姫の養子になり、
素佐之男の死後、出雲から日向まで、
つまり、
山陰地方から九州全土まで広大な国を相続して大国主と呼ばれた。*
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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