ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年4月24日火曜日
出雲は政権の拡大に伴う移住者が造った国か?
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録27:29頁
『出雲は政権の拡大に伴う移住者が造った国か?』
「出雲は政権の拡大に伴う移住者が造った国か?」
では何故?
出雲に関連地名があり、
そこに関連人物が神として祀られているのであろう?。
神官が書いた『社記』や『縁起』にも、
また『古代日本正史』などの「解説書」にも、
いかにもその土地で祭神が生まれ、
それが地名にも反映しているように書いてある。
しかし以上みた所では、それはあり得ないという結論しか出ない。
この点をさらに深く考えて見よう。
1 出雲は最初からそこにあったのではない。
<倭>と<日本>が分立していた時代には
山陰に日本の領土は絶対にない。
地名、国名が、沖縄などで発生したあと、
次第に大きくなりながら、北上し、
東に分布していった痕跡が、全面的に明瞭に見てとれるし、
2 例の奴国(ノマ)が『魏書倭人章』の中だけでも、
分裂して2ヵ所に分かれ、
北のものは大国化した事実が、
明瞭に記録されているからである。
3 また出雲の語源も。
ポセイドンであり、
百済・出水と当て字したものから
さらに出雲と当て字されたこともわかっている。
その百済・出水の分布は南九州から始まっている。
4 さらに<大国主>伝承の中心になっている史実が、
卑弥呼政権から壹與政権への国譲りであり、
それが天照大神と素戔嗚の尊の誓約(うけひ)であり、
それは薩南諸島から進攻した位宮が卑弥呼と争った史実であり、
現に<卑弥呼>は<大穴持>として国分市に祀られている。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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