ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年4月7日土曜日
名や名乗りは「凝縮した史実の記録」
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録27:12頁
《名や名乗りは「凝縮した史実の記録」》
「名や名乗りは「凝縮した史実の記録」」
これは多くの事件も、大観すれば集約されて、
それぞれのタイプに分類でき、
それが<予言>に利用されるのだという事実を、
はっきり認識させてくれる。
私がノストラダムスの『予言集』や
ヨハネの『黙示録』の<予言>を使って、
次々に起こる事件を警告したのも、それが的中したのも、
同じことであり当然のことだったのである。
それらの<予言>は、まだこれから先も、
人類が生存し続ける限り有効に働き役立つ。
そして過ぎた事件は「的中例」として具体的な記録として、
教科書として、警告として、厳守すべき憲法として、役立つ。
現代人である私の著書は「具体的に」書かれているから、
すでに過去になった部分は現実に起こったそれぞれの事件の歴史として残る。
古代人が木簡に書いたものは、出来るかぎり短く、要約されて、
日常茶飯事は誰もが想像で補えるから「総て省略されて」、
ただ名前や名乗りだけにまで圧縮されて書かれている。
という差はあるが、その性格は、
私(加治木義博)のそれらの著書も『記・紀』も、同じものだと考えると、
『記・紀』とは何か?という疑問を総括する正しい答として、
活用することができる。
そこに特記されている「名や名乗り」は、
うっかり見過ごしてはいけない
重要な史実のエッセンス=「凝縮した史実の記録」なのである。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『言語復原史学会:画像』
『My ブログ』
古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ
古代史の画像
ネット歴史塾
古代史ブログ講座
ネット歴史塾
ひねもす徒然なるままに
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
『検索』
GoogleWeb検索
Google画像検索
YahooWeb検索
Yahoo画像検索
翻訳と辞書
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿