2012年4月17日火曜日

皇室の発生時期は古代ギリシャのウラノス期まで遡る



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録27:22頁

 『皇室の発生時期は古代ギリシャのウラノス期まで遡る
 「皇室の発生時期は古代ギリシャのウラノス期まで遡る

 もうひとつ「国譲り」で忘れてならない重大な機能は、

 「天皇家はいつ、誰から国を譲りうけて天皇になったのか?」

 という疑問に答える点である。

 それは日本列島はもと大国主のものだったが、

 それを外来者の天皇家が、平和裏に譲り受けたのだ。

 という経緯を説明している。

 日本人は単一民族なんかではない。

 天皇家は渡来人だったと明言しているのである。

 ただし、脅迫はしているが虐殺はしていない。

 <大国主>には「大国主」という旧称を許し、

 贅沢な宮殿に住まわせている。

 これは聖徳太子の国是

 「和をもって貴としとなす」と共に、

 天皇家の基本方針が、
 
 「愛と平和」にあったことを強調しているのである。

 『日本書紀』も『古事記』も、それを領国の初めとしている。

 それ以前の天皇家の歴史は、

 この2つの『正史』には共に書かれていない。

 だからいつ天皇家が発生したかは不明のままなのである。

 ただ『日本書紀』には漠然とした記憶があって、

 紀元前660年を神武天皇紀元とした。

 それをこの講座で追及してみて、根拠のないものではないことを突き止めた。

 ということは<大国主>の国譲りは

 660年よりも古い歴史だと主張しているのである。

 それはギリシャ人たちが、ギリシャにも入らない前の記憶である。

 とすればそれこそギリシャ神話の冒頭にあるウラノスの時代しかない。

 これが『大国主(ウラノス)国譲り』の記憶第1号だったのである。

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
 『言語復原史学会:画像』

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