ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年4月17日火曜日
皇室の発生時期は古代ギリシャのウラノス期まで遡る
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録27:22頁
『皇室の発生時期は古代ギリシャのウラノス期まで遡る』
「皇室の発生時期は古代ギリシャのウラノス期まで遡る」
もうひとつ「国譲り」で忘れてならない重大な機能は、
「天皇家はいつ、誰から国を譲りうけて天皇になったのか?」
という疑問に答える点である。
それは日本列島はもと大国主のものだったが、
それを外来者の天皇家が、平和裏に譲り受けたのだ。
という経緯を説明している。
日本人は単一民族なんかではない。
天皇家は渡来人だったと明言しているのである。
ただし、脅迫はしているが虐殺はしていない。
<大国主>には「大国主」という旧称を許し、
贅沢な宮殿に住まわせている。
これは聖徳太子の国是
「和をもって貴としとなす」と共に、
天皇家の基本方針が、
「愛と平和」にあったことを強調しているのである。
『日本書紀』も『古事記』も、それを領国の初めとしている。
それ以前の天皇家の歴史は、
この2つの『正史』には共に書かれていない。
だからいつ天皇家が発生したかは不明のままなのである。
ただ『日本書紀』には漠然とした記憶があって、
紀元前660年を神武天皇紀元とした。
それをこの講座で追及してみて、根拠のないものではないことを突き止めた。
ということは<大国主>の国譲りは
660年よりも古い歴史だと主張しているのである。
それはギリシャ人たちが、ギリシャにも入らない前の記憶である。
とすればそれこそギリシャ神話の冒頭にあるウラノスの時代しかない。
これが『大国主(ウラノス)国譲り』の記憶第1号だったのである。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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