2012年4月5日木曜日

『記・紀』の様式は記録法の文化が生んだ必然的な姿



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録27:10頁

 《『記・紀』の様式は記録法の文化が生んだ必然的な姿
 「『記・紀』の様式は記録法の文化が生んだ必然的な姿

 それでは、『記・紀』の実体はわかったが、

 出雲の史実は完全に無視されてしまうから、

 「史実を復元する」という最も大切な目的から外れ、

 逆に破壊してしまうことになる。

 しかし、記事の本質が神託や予言なら、

 それが的中して現実になった時、

 「誰と誰が何をした結果こうなった。

  見ろ!神託どおりだ!」と誇れるから、

 神託者または予言者にとって最も大切な記事になることは言うまでもない。

 そのために事件が起こるたびに、

 当事者の名、地名、重要品名などが書き加えられているのである。

 何故、名だけか?、

 それは、1つ1つの事件を具体的に書くと、

 当時の記録は紙でなく木簡に書くのだから大変な量になる。

 ピューティヤの記憶能力にあわせて、

 可能な限り字数を少なく要約し、

 今でいえばヒントだけ書き留めたメモ程度にまで、

 圧縮したものにするしかなかったのである。

 そうでなくて、

 もっと具体的に、事件を記録して残したものだとすれば、

 『記・紀』編纂の8世紀から千年を超えてさかのぼる記録は、

 とても『記・紀』のような少量では済まない。

 『日本書紀』だけでも正倉院に溢れるほどの量になってしまう。

 『記・紀』が神託になったのは決して人為的な細工ではなく、

 他に方法のない当時の文化からくる必然的な結果であって、

 それ以外の選択肢がなかったからに、ほかならない。

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