2012年4月18日水曜日

『記・紀』以後にも起こった「国譲り」



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録27:23頁

 『『記・紀』以後にも起こった「国譲り」
 「『記・紀』以後にも起こった「国譲り」

 では次は、国譲りは『記・紀』完成以後にも、

 現実に起こったというお話をして、

 それが<予言>でもあることを立証してみよう。

 南北朝時代として知られる天皇家分裂の歴史は、

 もう説明するまでもないと思う。

 吉野に移った後醍醐天皇たちは、

 <大国主>と違って北朝を恨んで死んだ。

 しかしそれで天皇家はダメになったか。

 大化の改新と同じく、

 南朝の当事者たちは滅びたが天皇制は崩れず、

 国を譲られた北朝はそれ以後も連綿と永く続いて現在に至った。

 それは何故か?。

 それはこれまでお話ししてきたように、

 制度の出発点に

 *内乱を防ぎ、よりよい世界を育てて、

  それまで、争いに勝って政権を得るという

  「野獣システム」だった人類社会を、

  親子兄弟が愛しあって生活する美しい一軒の家のように、

  愛で政治する世界に進歩させる*

 という理想を、国是として実行してきたからである。

 そのためには、

 天皇は普通人のもたない修養と教養を身につけて、

 神のような英知を持たねばならない。

 そうすれば国民がそれを信じて従う間は、

 暴力で奪った政権のように、

 敵に満ちた国にはならず、

 内乱に攪乱されない国は学問、経済が相まって発展し、

 人口が殖え、国富が増して富み栄える。

 このように

 「国民のために天皇家がある」限り、

 天皇家は国民の支持を失わない。

 それは為政者が変わり続ける

 民主主義よりも上だからである。

 『参考』
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