ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年4月18日水曜日
『記・紀』以後にも起こった「国譲り」
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録27:23頁
『『記・紀』以後にも起こった「国譲り」』
「『記・紀』以後にも起こった「国譲り」」
では次は、国譲りは『記・紀』完成以後にも、
現実に起こったというお話をして、
それが<予言>でもあることを立証してみよう。
南北朝時代として知られる天皇家分裂の歴史は、
もう説明するまでもないと思う。
吉野に移った後醍醐天皇たちは、
<大国主>と違って北朝を恨んで死んだ。
しかしそれで天皇家はダメになったか。
大化の改新と同じく、
南朝の当事者たちは滅びたが天皇制は崩れず、
国を譲られた北朝はそれ以後も連綿と永く続いて現在に至った。
それは何故か?。
それはこれまでお話ししてきたように、
制度の出発点に
*内乱を防ぎ、よりよい世界を育てて、
それまで、争いに勝って政権を得るという
「野獣システム」だった人類社会を、
親子兄弟が愛しあって生活する美しい一軒の家のように、
愛で政治する世界に進歩させる*
という理想を、国是として実行してきたからである。
そのためには、
天皇は普通人のもたない修養と教養を身につけて、
神のような英知を持たねばならない。
そうすれば国民がそれを信じて従う間は、
暴力で奪った政権のように、
敵に満ちた国にはならず、
内乱に攪乱されない国は学問、経済が相まって発展し、
人口が殖え、国富が増して富み栄える。
このように
「国民のために天皇家がある」限り、
天皇家は国民の支持を失わない。
それは為政者が変わり続ける
民主主義よりも上だからである。
『参考』
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『言語復原史学会:画像』
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