ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年4月10日火曜日
オロチ退治でシベリヤまで支配した位宮
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録27:15頁
《オロチ退治でシベリヤまで支配した位宮》
「オロチ退治でシベリヤまで支配した位宮」
在来の、高句麗に対する歴史学者の常識は、
根本から間違っていたのである。
それはシベリヤ最東瑞に
新<マガダ>国を生んだはど広大な版図をもっていた時期が、
現実にあったことを現存する多数の地名が立証している。
それも短期間のものではなく、
シベリヤ全域に「スク=宿」という町村単位名を
分布させたほどの、強力な政治力をもっていたのだ。
<スサノオ>が、朝鮮から戻ったという記事を、
せいぜい韓国へ行って帰ったぐらいにしか考えない解説をするものがあるが、
そんなものはその学者の評価材料にしかならない。
八俣大蛇の実体である卑弥呼の領土は、
<帯>という名乗りが示すものは単なる魏領の帯方郡のみならず、
<千人の女沙門>たちが<歩き巫女>として布教に努めたシベリヤ全域を意味していると
見なければいけない。
そこには間違いなく「オビ=帯」河までが現存しているのである。
そのオビという地名は宮崎県にも「妖肥(おぴ)」として今も分布して、
筑紫・菊池と同じ仲間だと主張している。
先にご覧戴いたシベリヤの共通地名群はそれを疑わせない量なのだ。
こうわかると、その版図を所有していた卑弥呼が、
それを失ったあと領有したのは位宮で、
彼は間違いなく高句麗王(山上王)の肩書きで呼ばれている。
彼は新<マガダ>国を含む広大なシベリヤまでを、
八俣大蛇を退治て支配した<スサノオ>だったのである。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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