2012年4月22日日曜日

地域伝承まる写しの大国主像とは、こんなもの




 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録27:27頁


 『地域伝承まる写しの大国主像とは、こんなもの
 「地域伝承まる写しの大国主像とは、こんなもの

 *343頁

  一族は、松江市の南に住んでいたが、

  あの大橋の北へ兄弟みんなで狩りに行った時、

  何か義兄たちを怒らせて、半殺しにされた。

  その場所を調べたら、

  松江駅から北へ四キロぐらいの、

  今の浜吉町で、驚谷と言ったところらしく、

  そこに、

  この時、仮死状態になったのを、

  介抱して生き返らせたと伝わっている

  「宇武加比比売(うむがいひめ)」を

  祀った法吉(ほつき)神社があった。

  このウムガイ姫は、

  その時いっしょに大国主を介抱したと伝わっているキサカイ姫と共に、
 
  今の出雲大社の内陣に、

  「いのちの社」として別棟に祀られている。*

 *344頁

  素佐之男の死後、

  出雲と九州の広大な国を相続したので、

  「大国主」という通称になったので、

  本名の大己貴尊だけで、他に別名は見当たらない。

  185年頃、

  素佐之男が死んでから、

  約三十年間ぐらい出雲と九州を統治して、

  215年頃。

  割合早く、55歳前後で亡くなっている。

  性格的に、軍人や政治家向きではなかったらしく、

  むしろ学者肌の人だったらしいことは到るところの記録に出ている。

  そのため、

  後世、どこにも医学の神、薬学の神、

  獣医学の神様として祀られるようになったようである。

  例えば、

  伊和神社 兵庫県一の宮町 (記録)大己貴神、

  又の御名を大名持御魂大国主神とも申し上げる。

  …最後に伊和里(当地)に来まして鎮まりました。

  社伝に成務天皇甲申歳の創建と伝う。*

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
 『言語復原史学会:画像』

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