『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録10:14頁
このツナ・チヌ・キノが淡路島から和歌山県へ達した時代が、
倭の五王時代の初期だったことが、
珍の名乗りをもつ宇遅(ウチヌ)和紀郎子の存在で明瞭なことは、
もう熟知して戴いているが、
そのとき天草もまた一緒に紀州にやって来ている。
だから海草郡の名が残っているのだ。
この文字をみると、県の外周を海に囲まれているから、
そこに生えている海草が住民の経済を支えているので、
特に美味なワカメなどの産地が海草郡と呼ばれたと錯覚し、
説明されそうであるが、
ツナがスモトとセットになってやってきて、
ツナがチヌからキノ国にまでなっているのをみると、
海はアマだから海草はアマクサ、
これも九州から運ばれてきた重要な世襲名詞、
生きた歴史を物語る古代国名だったと納得がいく。
淡路島にはアマクサはないがアマ=阿万はある。
淡路の海人(あま)は『古事記』の歌謡でも有名である。
ではそれらは名乗りにはなっていないのか?。
それが「建内系譜」にある甘美内と許勢なのである。
甘美内は奄美だからアマ、
許勢はコセでクサとは別物に見えるが、
天草の草は古謝・狗邪だったのだから、
大隅訛りならクセになり、
それを本土語らしく書いた当て字「許勢」は不思議でなくなる。
そして出水(イヅミ)が倭済に、
川内(コウチ)が興に、
高志(タケシ)が武に、
揃って名乗りとして世襲されたから、
済はスミ、
興はコウ、
武はタケシと発音して、
その出身地と家系の歴史を証言しているのである。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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