2010年7月21日水曜日

天草の進出と倭の五王の名乗りの完璧な証言

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録10:14頁

このツナ・チヌ・キノが淡路島から和歌山県へ達した時代が、

倭の五王時代の初期だったことが、

珍の名乗りをもつ宇遅(ウチヌ)和紀郎子の存在で明瞭なことは、

もう熟知して戴いているが、

そのとき天草もまた一緒に紀州にやって来ている。

だから海草郡の名が残っているのだ。

この文字をみると、県の外周を海に囲まれているから、

そこに生えている海草が住民の経済を支えているので、

特に美味なワカメなどの産地が海草郡と呼ばれたと錯覚し、

説明されそうであるが、

ツナがスモトとセットになってやってきて、

ツナがチヌからキノ国にまでなっているのをみると、

海はアマだから海草はアマクサ、

これも九州から運ばれてきた重要な世襲名詞、

生きた歴史を物語る古代国名だったと納得がいく。

淡路島にはアマクサはないがアマ=阿万はある。

淡路の海人(あま)は『古事記』の歌謡でも有名である。

ではそれらは名乗りにはなっていないのか?。

それが「建内系譜」にある甘美内と許勢なのである。

甘美内は奄美だからアマ、

許勢はコセでクサとは別物に見えるが、

天草の草は古謝・狗邪だったのだから、

大隅訛りならクセになり、

それを本土語らしく書いた当て字「許勢」は不思議でなくなる。

そして出水(イヅミ)が倭済に、

川内(コウチ)が興に、

高志(タケシ)が武に、

揃って名乗りとして世襲されたから、

済はスミ、

興はコウ、

武はタケシと発音して、

その出身地と家系の歴史を証言しているのである。



『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
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