2010年7月4日日曜日

倭国史を雄弁に語る応神后妃の名乗り

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録09:27頁

次の宮主八河枝比売>は、

<ミヤヌシカワエヒメ>と読まれてきたが、

前半は<宮>、

後半は<河>が主体になった地名で、

応神の都が軽の明の宮、

すなわち鹿児の阿鹿児の宮=八幡の全国総社である

鹿児島神宮にあったことは動かないから、

同じ鹿児島県下に並んでいる

<宮之城>と<川内>を意味する当て字であることは、

この二地域が神功皇后時代に重要な役割を果たした

史実を知っているので直ぐ読み取れる。

宮之城は発音は、ミヤンジョ、

古字で「宮の荘(みやぬしゃう)」、

この古代音<ミヤヌシャ>への当て字・宮主八。

河枝は<カワシ>で沖縄~大隈発音<カワチ=川内>、

今の<センデ>である。

そこが<河内>に至る<倭国の重要地名のルーツ>であることは、

そこに

河内古墳の原始型として知られる<神代3山陵>の一つ、

可愛山陵(エノサンリョウ)があることでもわかる。

次の袁那辨郎女は<袁>を<遠>に換えると

<トオナベンまたはオンナベン>、

薩摩半島南部の中央を占める川辺郡は、

今<カワナベ>と発音するが、古音は<コオナベ>で、

助詞・<ン>がつくと<コオナベン>、

これは<小袁那辨>に合い、<大袁那辨>があったとすれば、

<小>を<ヲ>と発音したから<ヲオナベン>と<オオオナベン>とになる。

川辺郡は後世の当て字で、

これも用明、孝徳両天皇の名乗りにある豊日国=トヨシマ=今の

兵庫県豊岡市と大阪府豊島郡であるが、

この2地点を結び、

後者に密接して兵庫県東部に移動し、

宝塚市、川西市、猪名川町を含む

重要地名になっている。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
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