2010年7月2日金曜日

応神天皇は婿養子のポントス

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録09:25頁

これが応神天皇の家族一覧表である。

天皇の名乗り・品陀和気と同じ「品陀」の名乗りをもっているのが、

3人の后妃の父だということに注目しよう。

天皇の母は神功皇后で気長足姫(息長帯姫)、

父は仲哀天皇・帯仲日子(足仲彦)だから、

応神天皇の名乗りは后妃の父から受継いでいることは一目瞭然である。

しかし品陀真若と品陀和気は文字も書き方も異なっているから、

従来は別の名をもつ別人だとして疑わなかった。

だが、それを代々相続される「名乗り」としてみると、

別の名だと決めるわけにはいかない。

『古事記』の用字は同じ名でも、

例えば<タジヒ>を<丹比・多治比・蝮>と書く。

だからそれ以上に近い

<品陀真若>と<品陀和気>は一層、

同じ名乗りに見える。

確かめてみよう。

品陀真若は<ポントス>への当て字とわかっているから

<品ポン陀ト真スン若=別(びち)=日子(びち)>。

ポントスの日子という名の沖縄~大隈発音だとわかる。

<若>と<和気>は同じで<別>だから<ツ>と<ス>は共通音だから、

やはりポントス日子への当て字であることに変わりはない。

全く同じ名乗りなのだ。

間違いなく<応神>は<ポントス>として<婿養子>に入ったのである。

だから名を替えた。

その名を婿養子とわざわざ交換したのではなく、

必然的に名乗りが変わったのにすぎない。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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