2010年7月19日月曜日

2人の応神天皇神功皇后の区別点

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録10:12頁

以上が「軽(鹿児(カル))の

明宮=アカイヤ=赤国=五彩圏の南国=朱雀」に都した

応神天皇・八幡である。

そしてもう一人の応神天皇=仁徳天皇の父は別にいる。

それが先にみた津奈木で名替えをした応神天皇である。

こちらは鹿児島ではなく熊本にいて天草を本拠にしていた。

その都が本渡という名を今に残しているので、

やはりポントスという名の持主だったことがわかる。

このポントスの名が、

二人の応神天皇を混在させた犯人だったのである。

この人物の名も、

ポセイドンが百済出水(ポセイズン)に2分割されたように、

二分された痕跡を残している。

本渡栖本(ポントスモト)で

ポントスのモト(本部・センター・都)なのである。

これが淡路島の洲本の名の出発点なのだ。

この淡路島のほうは

倭の五王時代に移り住んだ人たちの国名だったが、

その一族には、

少なくとも卑弥呼時代に朝鮮半島に進出した人々がいた。

それは天草という地名が記録証言している。

天はチヌで津奈木のツナであり、

淡路島の津名であり、

珍の名乗りのもとであることはもうよくご存知である。

では草は何か?

これは沖縄の「古謝=クジャ」であり

『魏書倭人章』にある「倭の北岸・拘邪韓国」である。

この進出が神功皇后・卑弥呼の業績で、

ソナカ天皇=仲哀の皇后として、

倭国大乱当時、天皇早世の後に続いた倭国女王共立以前の彼女の、

奮戦の遺物=「神功皇后の三韓征伐」の実証なのである。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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