『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録10:12頁
以上が「軽(鹿児(カル))の
明宮=アカイヤ=赤国=五彩圏の南国=朱雀」に都した
応神天皇・八幡である。
そしてもう一人の応神天皇=仁徳天皇の父は別にいる。
それが先にみた津奈木で名替えをした応神天皇である。
こちらは鹿児島ではなく熊本にいて天草を本拠にしていた。
その都が本渡という名を今に残しているので、
やはりポントスという名の持主だったことがわかる。
このポントスの名が、
二人の応神天皇を混在させた犯人だったのである。
この人物の名も、
ポセイドンが百済出水(ポセイズン)に2分割されたように、
二分された痕跡を残している。
本渡栖本(ポントスモト)で
ポントスのモト(本部・センター・都)なのである。
これが淡路島の洲本の名の出発点なのだ。
この淡路島のほうは
倭の五王時代に移り住んだ人たちの国名だったが、
その一族には、
少なくとも卑弥呼時代に朝鮮半島に進出した人々がいた。
それは天草という地名が記録証言している。
天はチヌで津奈木のツナであり、
淡路島の津名であり、
珍の名乗りのもとであることはもうよくご存知である。
では草は何か?
これは沖縄の「古謝=クジャ」であり
『魏書倭人章』にある「倭の北岸・拘邪韓国」である。
この進出が神功皇后・卑弥呼の業績で、
ソナカ天皇=仲哀の皇后として、
倭国大乱当時、天皇早世の後に続いた倭国女王共立以前の彼女の、
奮戦の遺物=「神功皇后の三韓征伐」の実証なのである。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
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