2010年7月7日水曜日

明確に確認できた倭の五王の皇統

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録09:30頁

これはさらに確認できるものがある。

それは<イザマワカ>である。

石日売が産んだ皇太子は<伊耶本和気>。

これは<伊邪木=イザナキ>だとよくご存知だ。

高木入日売-伊奢真若(イザマワカ)。

葛城野伊呂売-伊奢麻和迦(イザマワカ)。

石日売-伊耶本和気だから、

女王が産んだ皇太子が<イサナキ>の名乗りをもつ原則がわかる。

また<石>=<イシ>と<イサ>が共通音をもっている。

<砂=イサゴ=石子>、<石=イシ>、

苗字の<石動=イスルギ>、<石の上神宮=イソのかみ>、

と見てくるとサシスソが揃うから、

<イセ=伊勢>もまた<石>と同じものだとわかる。

すると名替えの<伊奢沙(イザサ)和気の大神>も、

垂仁天皇の五(イ)十狭(サ)茅(チ)も

全てがこの<石>と同じものとわかる。

ではこの<石>は何を意味するのか?。

パーリ語でisiイシは卑弥呼の観世音菩薩と同じ仏であり

<聖(ひじり)者=日知りだ。

日知りは日を見る日見子にも天照大神にも通じる>から

石日売が女王であり最高位の存在で、

品陀真若も応神も夫の仁徳天皇も皆、

「石の王(イサナキ)」なのだ。

これで<イサナキ>は決して神話時代だけの存在ではなく、

3世紀の伊声耆(イサンギ)と五十狭茅(イサチ)も

彦五十狭芹彦も同一の名乗りだったのであり、

履中天皇もそれを世襲した一人だった。

だから倭の五王たちは

垂仁天皇の邪馬壹政権の後継者だったことが明確に確認できた。

ここまできて始めて

何故?名乗りが倭国の真の支配者を教え、

真の史実を明瞭に復元することができるのか、

はっきり明快に理解できたのである。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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