『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録10:7頁
その津奈木で名替えをした相手は
『日本書紀』では「笥飯(ケイヒ)大神」、
『古事記』では
「伊奢沙(イササ)和気大神・御食(ミケ)津大神・気比大神」だから、
笥飯と気比は同じで「木」の国のこと。
御食津は名替え後に生まれた無関係な別名だから、
問題になる名は伊奢沙和気だけである。
これは仁徳天皇の倭讃=イササとも合うが、
本来は何を意味する名乗りなのか?。
津奈木から遠くない東南東に伊佐(郡=鹿児島県)がある。
これはイサナキの名乗りで検討済みの通り、
伊勢に通じる王名で、
「石」の当て字で表現されている例が多いのも見た。
垂仁天皇の「五十狭茅=イサチ」や
その兄弟の「五十狭芹=イサキン」もその名乗りの変形である。
これを伊奢沙と比較してみると伊奢はイサで、
沙は抄・炒などと同じくショウの音をもっているからイサショウになる。
沖縄音ではシもチになるから、
これはイサチ王=五十狭茅王への当て字でもある。
単純に受けとれば応神天皇は垂仁天皇と名替えしたことになる。
この名替えを『日本書紀』は「易名」という字で表現している。
中国では政権交替を易世革命と表現するから、
『日本書紀』は「易名」に
政権交替の意味を持たせているとも見える。
では幼い応神天皇が建内宿祢に連れられて熊本県の津奈木へ行き、
イサチ大神と易名した、
その政権交替の相手は、
邪馬壹国の位宮・垂仁天皇だったのであろうか?。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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