2010年7月14日水曜日

名替えの相手は垂仁天皇か?

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録10:7頁

その津奈木で名替えをした相手は

『日本書紀』では「笥飯(ケイヒ)大神」、

『古事記』では

「伊奢沙(イササ)和気大神・御食(ミケ)津大神・気比大神」だから、

笥飯と気比は同じで「木」の国のこと。

御食津は名替え後に生まれた無関係な別名だから、

問題になる名は伊奢沙和気だけである。

これは仁徳天皇の倭讃=イササとも合うが、

本来は何を意味する名乗りなのか?。

津奈木から遠くない東南東に伊佐(郡=鹿児島県)がある。

これはイサナキの名乗りで検討済みの通り、

伊勢に通じる王名で、

「石」の当て字で表現されている例が多いのも見た。

垂仁天皇の「五十狭茅=イサチ」や

その兄弟の「五十狭芹=イサキン」もその名乗りの変形である。

これを伊奢沙と比較してみると伊奢はイサで、

沙は抄・炒などと同じくショウの音をもっているからイサショウになる。

沖縄音ではシもチになるから、

これはイサチ王=五十狭茅王への当て字でもある。

単純に受けとれば応神天皇は垂仁天皇と名替えしたことになる。

この名替えを『日本書紀』は「易名」という字で表現している。

中国では政権交替を易世革命と表現するから、

『日本書紀』は「易名」に

政権交替の意味を持たせているとも見える。

では幼い応神天皇が建内宿祢に連れられて熊本県の津奈木へ行き、

イサチ大神と易名した、

その政権交替の相手は、

邪馬壹国の位宮・垂仁天皇だったのであろうか?。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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