2010年7月16日金曜日

「キ」の尊称の由緒と建国史に占める重要度

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録10:9頁

では気比の大神とは何か?。

頁3~4の系譜に木の角の宿祢、

すなわち狗奴国=クマの津奈木(ツナ王=高志全体の王)

という最高位を名乗る人物がいる。

だから彼こそがいわゆる「天皇」に当たる男性なのだ。

この系譜では彼は父・建内宿祢の5男であるが、

兄たちを措(お)いて大王=天皇の位についたという名乗りをもち、

その祖母は木の宇豆(ウヅ)比古(ウヅは珍とも書く)の娘である。

「木」の本家(ほんけ)に生まれた女王で、その子が建内宿祢を名乗り、

その子の一人がまた「木」の本家を継いだのである。

このことは講義録(院)09の頁23

「応神天皇の后妃皇子女」系譜を見て戴くと、

皇子の中に「木菟野命(キのツノのミコト)」が

いることで一層信頼度を増す。

拘奴国王の王統が連綿と守り続けられていたことがわかるからである。

在来は「木の角の宿祢」など、

とるに足りない臣籍の1人物として、

気にもとめなかったのが日本史家の常態だった。

だがそれだと、一体なぜ?…応神天皇ほどの大天皇の皇子が、

そんなつまらない家来と同じ名をつけられたのか?理解に苦しむが、

学者はそれらを名乗りと気づかず放置していたのである。

しかしその「珍」は

倭の五王時代にも伝えられていた重要な天皇の名乗りであり、

キは貴・岐などと書き、

「君」のキミは王(キ)と女王(メ=ミ)を意味し、

また五彩圏の中央の色=黄をキと

発音することなどにも深く関わる特別な発音だったのだ。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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