2010年7月15日木曜日

名替えしたのは八幡から百年以上後の応神

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録10:8頁

『記・紀』の書く天皇の年齢や治世年数は、

でたらめが多くて使えないから、

正確な中国正史文献の記録を使うと、

八幡の義母に当たる

オオヒルメ=壹與が邪馬壹国女王に即位したのが247年、

『宋書』の倭王・讃の初貢が421年で174年後である。

讃は名替えした応神天皇の子だから、

この初貢の時74才だったと仮定しても、

彼は八幡が100才以上になってからの子になる。

明らかに八幡と応神は別人であって、

八幡の父である垂仁天皇がそれまで生きていて、

伊奢沙和気大神として応神と名替えをすることは絶対にありえない。

伊奢沙は間違いなく五十狭茅王であっても、

それは名乗りの継承者であったに過ぎず、

位宮から幾代目かのイサチまたはイッサッキン=軍君だったのである。

だからそれは津奈木にいたツナ王だった人物が、

木の角=クマのチヌ王という地位を譲ってイサ=伊佐に隠退したか、

イッサッキン=軍君=大元帥=天皇=クシャトリヤの地位も

併せて譲ったかという事件だったのだ。

では名替えの相手は誰だったのか?。

それは応神天皇の后妃の父、品陀真若王以外にない。

共にもつ品陀の名は、

彼が女王家へ婿入りしてその義父の名乗りを継いだと語っているのだ。

この真若王は卑弥呼政権の景行天皇の孫である。

景行天皇の記事は熊本県と大分県とが主体だから、

その時、応神は西の66国を征服して、

倭国は完全に彼のものになったのである。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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