『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録03:11頁
だから「邪馬壹国」は他の官名や地名と同じく、
帯方郡使の張政がつけた「当て字」で、
そんな国名をもった国が実在していたのではない。
それは正確には「伊江津(イエッ)国」だつたのに、
張政が「間違えて」、
「壹国」と書いてしまっただけの、
幻のような国名にすぎないのだ。
だからその時、
張政以外の帯方郡使がやつてきていたら、
「伊江津(イエッ)国」などと、
別の当て字が使われていたはずで、
壹の字が使われていなければ、
それを「臺」の字の間違いだなどと想像する者も出現せず、
その邪馬臺国畠を戦後の略字遣いにした
「邪馬台国」などという空名が一人前の顔をして、
まかり通る現状など考えることもできない。
かつて「邪馬台国はなかった」という本が出たことがあるが、
それは「実在したのは邪馬壹国だから邪馬台国は間違いだ」という説だったが、
その説も根本的に間違っていて、
正確には「邪馬壹国はなかった」のほうが正しい。
こうわかってみると、
これまで卑弥呼時代の国名として当然のように
「邪馬台国の女王・卑弥呼」などといってきたことが、
どれくらいオカシイか言い尽くせない。
実在したのは「邪馬(ジャマ)伊江津国」だつたのだから、
それが沖縄以外にない伊江島のこととわかれば、
どんなに初心者でも、
故事つけの名人でも、奈良にあったなどとは想像することはない。
張政の一字が日本の史学の実態を暴露して見せてくれたのだ。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書"
『メソポタミア世界』
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