『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録04:4頁
こうして細部に神経を集中すると
案外、重要で大きな問題が見落とされていることと、
そこに大きな答えが眠っていることを発見することができる。
今回は、ついでだから、少し文章、文体の問題から離れて、
記事の正確さをどう確保するか、
それにはどうした着眼点があるのか、それをどう整理すればいいのか、
その細部の検索システムと表現方法などを実例をあげてお話することにしよう。
『魏書倭人章』の問題には、まだ未解決のまま残っているものがある。
その中で最大のものは卑弥呼が最初に帯方郡へ遣使したのは、
景初2年か3年かという問題だ。
元禄時代の人、新井白石は
「遼東の公孫淵(エン)が滅んだのは景初2年8月だから、
その2カ月前の2年6月には魏の帯方郡はまだない。
難升米らがそこを訪れたのは、翌3年の6月でないと話が合わない。
魏志の2年は間違いだ」
といい、それ以後、いまだに決定的な結論は出ていない。
これは『魏書倭人章』だけを幾ら分析しても、思索しても答はでない。
どうすれば正確な動かぬ結論が出せるのだろうか?。
それとも在来の諸説のように、みんな反論されて潰れてしまうしかないのだろうか?。
この問題は次のように『魏書・東夷』全体を年代順に整理して編集し直すと、
ごく簡潔に「動かぬ答」が確保できて、決して潰れてしまうことはない。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書"
『メソポタミア世界』
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