2010年2月2日火曜日

ギリシャ人はどこから来たか?

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録03:12頁

ここで私たちは、もう一つ重要な「証拠」を

手に入れていることを見落としてはならない。

それは魏の発音なら「イエッ」である「壹」を、

当時の倭人たちはその魏音通りに発音せず「イチ」と発音して、

壹国を「イチマ=伊支馬」と発音している事実である。

この「イチ」は、中国北方の漢魏音に対立していた

南方音の呉音(ゴおん)なのである。

これは魏の強敵、呉の国の言葉だから、

張政が呉音を知っていたら気を悪くするぐらいでは済まない。

だが幸いに、彼はそれに気づかず単なる官名として、

固有名詞扱いされてすんだ。

その報告を読んだ魏政府の役人もまた気づかずに、

そのまま現代まで変更されることなく残った。

そのお陰で私たちは、

位宮や壹與たちが呉を経由して沖縄地方に移住してきた

ギリシャ系ウースン人の子孫だったことに確信がもてたのである。

それは大隅から奥州に至る我が国の多くの古い地名や姓が、

そのウースンを意味している事実を知っているだけでなく、

幼い天照大神の『光華明彩』が、照り徹(とお)したと

「記・紀」が書く「六合」までもが、

呉の時代の名残を今に残す県名として実在する事実を知っている。

六合は現在でも我が国に地名・姓として現存しているが、

その発音は多く「くに」である。

「くに」は母国・故郷のこと。

忘れ難い故郷は呉の六合だと今も歌い続けているのである。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書"
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明

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