『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録04:19・20頁
出典:言語復原史学会・正会員:柿本一征
以上のように、
系図A、B、C、Dが3世紀後半から4世紀前半にかけての、
日本列島(九州大陸)と朝鮮半島、中国大陸における歴史上の重要な人物で、
だれ一人残らず実在者である。
高句麗王、前新羅王統譜はみな、伯固の子孫であることが理解される。
仇道の子の末仇と休札夫妻の子孫は別に大切であるから、
次のような略系図を復原しておいて、補講として論じることにしたい。
「系図E]
3 4 5 6 7
末仇∥_|末仇2_|末仇3 _|扶余王玄 _|奈勿王
休礼∥ (比流王) (奈勿王356~) (~402)
|娘 |企利
この系図Eの6代目のときから、
石城別王との対婚が発生しているようなので、後に検討してみる。
なお、ついでのことであるから、
金官加羅国王統譜の後半部分(の一部)を解明しておきたい。
「系図F」
3 4 5 6 7 8 9 10 11
12
八坂王━大筒木垂根━息長日子王━千熊長彦━真浄 ━武内宿祢━石川宿祢━菅韓子 ━大河音宿祢
━都奴牟斯
奈解_|大新河 ━多婁 ━己婁 ━蓋婁 ━多遅麻 ━大別 ━戸田 ━紀生磐
━紀大磐 (伊尺品)(坐知) (吹希)
|十市根 ━汾西 ━胆咋 ━五十琴━伊呂弗 ━洛 _|木事 ━市川臣 ━久爾辛 (仲哀天皇) (阿華)
|木蓮子━太郎子 ━乎非王
F系図の五十琴が前首済13代近消古王(346~375)、
多遅麻が14代近仇古王(375~384)に該当することを、
前稿(「七支刀は同時代遭物か?」)において検討した。
F系図一列目(八坂王の列)の7代真浄までが
金官加羅国王統譜の前半である。
しかし、同王統譜の後半は、二列目(大新河の列)の
8代目多遅麻からに移行していることが理解されよう(10代目戸田=的=紀小弓)。
この多遅麻が(「も」)武内宿祢であることも前稿でみておいたことである。
11代目紀生磐以後については別項で鮮明する。
なお、大別は前百済16代辰斯王であり、
記紀の葛城長江襲津彦であることも、前稿で解明した。
さて、大筒木垂根、菅韓多羅夫妻について、若干の言及をしておくと、
この夫妻の名がどういう地名を反映しているかについては、
加治木先生の通信講座に導かれて前稿でおこなったし、
南朝鮮の「多羅」は僕自身は田中俊明氏の本を紐解いて確認した
(「大伽耶連盟の興亡と『任那』」吉川弘文館)ものの、
それだけではなんのことかわからない、
というのが正直なところである。
ところが、加治木著「おとぎ日本誕生」(徳間書店)によると、
竹取物語のかぐや姫は壹與であり、
その両親がこの難しい名の夫妻にあたるとなると、
話は別である。
本年のNHK教育テレビ新春番組でも、
これらの人々をモデルにした舞踏劇が放映されていた
(深夜長時間番組のフィナーレの部分)。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
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