『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録04:17・18頁
出典:言語復原史学会・正会員:柿本一征
これは金仇遁
(「魏書倭人章」の伊声耆イシェンギに該当)の三人の息子(三兄弟)がピッタリと、
系譜としても、
新羅王統系譜としても、
代数(11→12→13)、
在位年代としても、きれいに復原出来たということにならざるを得ない。
末仇の「末」は「末羅(廬)」「馬韓(マ又はウマ・ガ・ラ)」、
仇は「喜入」又はアダ(吾田地方=南九州)になるから、
沾=テン=添=ソ=襲=ソツヒコ=襲津彦と完全に一致してくれる。
彼の行動領域が解るとともに、
当時倭国の北の端とされている狗邪韓国の王が彼だったのではないか、
ということまで推定させてくれるのである。
なお、高句麗王統譜の
「伯固→抜奇→伊夷模→位宮(東川王)→難升米(中川王)→哀邪本王(西川王)→
初小(岩衝別王=烽上王)→美川王→故国原王…」
についてはもういいだろうと思う。
この解説は本稿の課題ではなく、
今後の別稿での繰り返しての吟味と解説、再解明、精密化の際の課題である。
とはいえ、せっかくの解明であるから、もう少し系譜の解明を継続する必要がある。
位宮(東川王) ∥_|咄固
壹與(新羅初代朴赫居世)∥ (儒礼王、基臨王)∥_|美川(肥前、備前)王
菊池姫 ∥
これでみると、高句麗王統譜と(前)新羅王統譜はあきらかに交錯(?)している。
この図のうちの、菊池姫の系譜的な位置はおよそ次のようになる。
「系図D」
1 2 3 4 5 6 7
伯固 ∥_|仇道 |多婁王∥_|己婁王(陳元達)
忍日女∥ |内礼∥_|奈解∥_|大新川 _ 清姫∥ |菊池姫(咄固の妃)
伊買∥_|昔 ∥ (難升米) |比メ古∥
(中川王) |高田姫
|比メ古∥_|胆咋 ∥_|五十琴
|十市根 _|汾西王∥
(都市牛利)|附志
|清姫
|玉姫
(哀邪本王の妃)
『参考』
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