2010年2月20日土曜日

卑弥呼らの情報収集力と行動力の高さ

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録04:6頁


これで帯方郡とは、もと公孫氏の領地だったことがわかる。


それを魏が密かに軍隊を派遣して占領してしまった。


その直後
の景初2年6月に、卑弥呼が派遣した難升米らが訪れて、


帯方郡を占領している魏の太守に、


「皇帝にお目にかかって献上したい」と申し込んだ。


その2カ月後の景初2年8月に公孫氏は滅んだが、


帯方郡はそれ以前に魏のものになっていた。


そこへ難升米らが魏の皇帝のところへ案内してほしいと


訪ねて行っても少しも奇妙ではない。


それを


「景初2年8月より前は帯方郡は公孫氏の領土だったから、


難升米らが訪れた時期は景初2年ではない。


『魏書倭人章』は間違っている。景初3年が正しい」と白石は主張した。


それ以後も複数の学者がこのことで論戦したが、


いまだに結論は出ていなかったのだ。


それがなぜかは、もうよくお判りの
とおり、


『魏書倭人章』だけしか読まずに議論をしていたからである。


また他を読んでいたとしても、


それを関連づけて時間帯に分けて配列しなかったからだ。


キチンと整理すれば、愚かな論争は起こらなかったのである。


これはさらに重要な価値評価の答を教えてくれる。


卑弥呼らの近代的な素早い情報収集力と行動力の高さだ。


白石流の史学では、そんなことも、まるでわからないのである。


*このあとは代講として本学会を代表する


柿本一征正会員の論文(1)をご熟読ください。


『参考』


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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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