『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録03:14頁
神とは、人間に真似のできない優れた能力をもつもの、
という意味をもつ呼び名である。
辞書ではそれを「卓越した・優れた」と書く。
この「卓越した・優れた」をパーリ語では、 ukkamsa という。
これを「ウッカンサ」と発音すると、
南九州語のわかる人は「大神様」と受けとる。
「天照大神様」とは、「卓越した、天のゼウス」という意味の称号を、
「天照・ウッカンサ」と発音して、漢字で適当に当て字したものだったのである。
だから大神はシンドゥなどの神を意味しない。
それは『記・紀』を漢文で書くのに必要な当て字の工夫から生まれた、
当時のさまざまな言語の単語を混用した表現の一つであって、
そんな名の神が実在したのでも、信仰されていたのでもない。
その証拠は伊勢神宮である。
そこに祭られているのは卑弥呼と壹與であって、
彼女らが信仰していたゼウスでも釈迦でも観世音菩薩でもない。
だから天照大神という神は卑弥呼であり、
豊受大神は壹與であると、決定されているのである。
皇太神宮の信仰対象は私たちの祖先であって、
観念上の存在でしかない信仰対象のゼウスや観音でもなければ、
偉大な哲学者として崇敬する釈迦でもない。
あくまで実在した祖先たちの霊なのである。
それが帯方郡使が見た「鬼道」の実態であり、
詳細に記録された仏教式葬儀が証言する
「卑弥呼の宗教」の中身なのである。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書"
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