2010年2月19日金曜日

『魏書東夷』全体を通続、時間帯で整理する

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録04:5頁

この間題は「帯方郡」の支配権が

公孫氏から魏に移った支配史がキーなのだから、

それを整理すればいい。

『魏書東夷』の全体を通読して、関係事項を拾いだして、

時間帯で整理して行くと、次のようになる。

『魏書東夷・韓』  「建安(後漢の孝献帝の年号、196~219年)中、

公孫康が屯有県以南の土地を分けて帯方郡にした」

『魏書東夷・韓』  「景初(魏の明帝の年号、237~239年)中、

明帝は密かに帯方太守の劉昕(リュウ・キン)と

楽浪太守の鮮于嗣(セン・ウシ)とを派遣して、

海を越えて二郡を定めた帯方郡と楽浪郡とを、

こっそり奪い取って魏のものにした。

これは、

もちろん、魏が公孫氏を滅ぼす前のこと)」

『魏書東夷・倭人』 「景初二年(238年)六月、倭女王(卑弥呼)

大夫・難升米を遣わして郡に詣で、天子に詣でて

朝献したいと求めて来た」

『魏書東夷・高句麗』「景初二年(238年)太尉(魏の陸軍大臣)

司馬宣王(司馬懿)衆をひきい公孫淵を討つ

(同年8月、公孫氏滅亡)」

『参考』

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