『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録04:21・22頁
出典:言語復原史学会・正会員:柿本一征
2 故国原王の妃、備前車塚古墳周辺古墳披葬者の推定
美川王の后は周氏(石勒のこと)の娘で、
息子が故国原王と弟の「武」である(高句麗本紀)。
しかし、もう一人、娘がいたのではないかと想定すると、次の系図になる。
「系図G'」
7 8 9
美川王 ∥ |故国原王∥ |小獣林(伊集院)王
石勒の娘∥_ 妃 ∥_|故国壌(隈之城)王
|武
|娘 ∥_|石川宿祢 ′
武内宿祢∥
備前車塚古墳が美川王の墓であることは
前稿(「七支刀」)で推定(特定)したが、
このG'系図に周辺古墳の名を加えると、次のようになる。
なお、これらの周辺一群の古墳群が、
備前車塚古墳の一族のものであることは、
どの本を読んでも(著者名は略)承認されているようなので、
なにも付け加える必要はないと思う。
ただし、未発掘なのかどうか、
発掘報告の記録を読んでいないので、副葬品、棺の方位は吟味していないし、
古墳の方位や相互の位直関係は図表によって解るものの、何も吟味しておらず、
ただ古墳の規模と古墳名を検討対象にするだけだから、
きわめて浅薄な推定にすぎないことは認めなければならない。
「系図G」
7 8 9
美川王 |故国原王
(備前車塚古墳)━|武(山王山古墳)━|神宮寺山古墳150m
50m 70m |金蔵山古墳 160m
|娘 ∥
武内宿祢∥ _|石川宿祢
(網浜茶臼山古墳) (湊茶臼山)150m
80(又は120)m
このG系図を理解しやすくするために、
もう少し周辺の系図を加えてふかん図を構築してみると、次のようになる。
「系図H」
4 5 ・6 7 8
|大筒木垂根∥_|息長日子王∥_|千熊長彦━|真浄 ━ 武内宿祢
管韓多羅 ∥ 附志 ∥ |石虎 ━|15人の息子
|娘 ∥
|虚空津姫 ━|石勒 ━|娘 ∥_|故国原王∥
|息長帯姫 |武
位宮 ∥_|咄固 ━|美川王 ∥ |娘 ∥
武内宿祢∥
|中日女 ━ 多婁王 ━ 己婁王 ━ 蓋婁王 ━ 玉彦姫
(姪岡陋姫)
『参考』
翻訳と辞書 [無料]
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
歴史回廊
ウワイト
古代史の画像
0 件のコメント:
コメントを投稿