2010年2月23日火曜日

日本古代王族の婚姻系譜(4)(5)

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録04:10・11頁

 出典:言語復原史学会・正会員:柿本一征

 なお、この論稿(以下、「本稿」と表現する)においては、

 ところどころ名乗りとしての地名や、

 相互の歴史的関係、史実を解明する場合もあるが、

 論述のポイントはあくまでも「結論としての婚姻関係」の解明である。

 と同時に、多少の論証を試みることはあっても、

 この点に主要な力点を置いているわけではない。

 従来の日本古代史解明(系譜の解明はその重要な一部分である)の弱点は、

 男子の系譜のみをみて、「妃は誰か」「母は誰か」をみないことである。

 本稿は、この点に力点を置いた、ということが出来ると思う。

 ただし、「異世代婚」「対婚」「いとこ婚」の原理的解明(あるいは論述)の

 課題については、別の難題であるから本稿は回避した。

 この点については小島信一「天皇系図」(新人物往来社)の中で、

 小島氏が自ら論じ、又文中に引用している吉野裕氏の解明が参考になった、

 ということと、仁賢6年9月条の鮒(原字は難しい文字)女の段や、

 その部分の岩波日本書紀の解説、それとギリシャ悲劇のモチーフが、

 これらのテーマをふんだんに扱っている

 (母や娘を妻にして子を生むなど…)などのことを

 指摘するだけにとどめる(これでは何のことか解らないであろうが)。

 なお、以下の系譜(の人物たち)は大部分、

 九州大陸ないし九州大陸出身の人物の系譜であって、

 奈良大和や畿内はほとんど無関係である

 (純粋に100パーセント無関係というのではない)から、

 副題を添えた次第である。

「大和政権」の文字だけが頻出して一人歩きしているのが

 (「歩いて」いる訳でなくただ「浮遊している」だけである)

 「大和説」の特徴である、と言える。

 いくら大勢の学者や各紙報道媒体、出版媒体、奈良の研究機関などが

 総動員体制で

 「大和政権」の文字を連呼唱和し、振り回しても、

 具体牲を持った人物(人名)が出現しないから

 (それと、年代を一つ一つ限定しないことと補完しあって)、

 それは永久に「歴史」ではない。

 歴史学は歴史(史実)を解明する学問であって、

 「大和政権」をもてあそぶ学問(?)ではない。

 大学で少し「大和説」を齧った程度の古代史分野担当記者が

 扱えるような分野ではないのが、日本古代史学なのである。

 メルヘン史学を直接の批判対象にとりあげる暇は、

 今の僕はとても持ち合わせていない。

 一言で言えば、大和説は批判の値打ちがない。

 「実態のない歴史」は吟味することも批判することも出来ない相談というものだ。

 歴史とは、

 具体的な人(人物)とその周りの集団の行為の経過の総合なのではないだろうか。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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