2012年6月30日土曜日

住吉仲皇子の愚行記事は真実か?



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録30:9頁

 《住吉仲皇子の愚行記事は真実か?
 「住吉仲皇子の愚行記事は真実か?

 彼は『記・紀』では悪者扱いされている

 住吉仲皇子(紀)・

 墨江中王(記)である。

 彼は伊邪木(イザナキ)和気・履中天皇の皇弟だが、

 皇位を奪おうとして天皇が寝ている神殿に放火したので、

 もう一人の弟・水歯別=のちの反正天皇が、

 中王の家臣・ソバカリを使って暗殺させたということになっている。

 しかし『宋書』が記録した倭の五王の名乗りは、

 讃=仁徳、

 珍=履中、

 済=住吉仲皇子、

 興=安康、

 武=雄略の順にピッタリ一致し、

 間に挟まった允恭天皇だけ名乗りの形式が

 根本的に違う高句麗の足根号もち、

 それも「おわさず(架空の)」天皇だというもので、

 済は住吉仲皇子以外にありえないことをすでに明らかにしてあり、

 発音も<スミ>だったこと、

 その名乗りの地名群と遺跡群と、

 その時間帯による拡大発展を徹底的に跡付けて確認してある。

 『宋書』が記録した五天皇の治世のうち、

 済=住吉天皇の治世は、

 443年と451年で9年間に亘り、

 彼が死んだといって興=安康天皇が遺使したのが462年だから、

 在位は20年に及んでいた可能性がある。

 それがまるで歪められているのは、

 仁徳系の記事には極悪非道なものや悲惨なものが多いし、

 後世の官籍に仁徳系の子孫は一人も名がないなど

 顕著に排斥されているように見えるから、

 同じ扱いがこんな記事を生んだのである。

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
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