ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年6月8日金曜日
「帯」の1字が証明する『古事記』の頼り無さ
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録29:17頁
《「帯」の1字が証明する『古事記』の頼り無さ》
「「帯」の1字が証明する『古事記』の頼り無さ」
それは不思議でも何でもない。
朝鮮半島は、
殷に宝貝貨幣を供給した時代から、
沖縄から九州を経て高句麗まで、
1国と言っていい状態にあった。
最小限に限定しても高句麗は間違いなく<コウリー>(宝貝)の国で、
漕ぐ人(コグリョ)の国。
シュメルから来たカリエン=カルデアンの国で、
スメラギを首長と仰ぐ人たちの国の一部だったのである。
その高句麗が前漢の侵略を受けて漢の4郡にされ、
漢が衰えた後漢末に<公孫康>が今の黄海道と京畿道とを帯方郡にして
<京城>(ソウル)に役所を置いて支配した。
しかしそれ以外の各道は依然として倭国政権の支配下にあったことは変わらない。
それを倭人たちは全て<帯方>と呼んでいたから、
神功皇后も「帯」を加えて息長帯姫と名乗ったのである。
ところが夫の仲哀天皇の足仲彦(ソナカ)(紀)は<ソナカ>皇子ということで、
帯中日子(記)は書紀の当て字を<足>から<帯>に変えただけのもの、
ソナカ皇子と読むことさえ知らない。
書紀を真似たくないと、
ただ闇雲(やみくも)に文字を変えただけだし、
その変え方も、足仲彦を<タラシナカツヒコ>と読んで、
正しい名すら知らなかったことを暴露している。
我が国の古代史上、
最も重要な人物の
天照大神で
卑弥呼で
神功皇后だった
女性の夫の名さえ知らない
そんな『古事記』を、
「絶対だ。本当の正史だ。神典だ」
と主張した連中の、
無知さ加減がよく判ると思う。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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