ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年6月1日金曜日
特異なスサノオ伝説は史実を神託化したもの
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録29:10頁
『特異なスサノオ伝説は史実を神託化したもの』
「特異なスサノオ伝説は史実を神託化したもの」
<スサノオ>は既に解明済みの通り、
今はイラン領になっている
<スーサ>の古名「スサ」の王という日本語名であるから、
ギルガメシュ伝説が伝わっただけの、架空の人物ではない。
スサ出身の王またはその王統を継いだ王が、
日本に来て体験した<神託>どおりの事件を賛嘆して、
倒した敵を竜にたとえた比喩でなければ、
総ては幼稚な怪物退治のお伽話になってしまう。
それでは無意味だから、
実在した「スサの王」の史実の記録として、後世に伝えたのである。
前頁で比較した伝説とは根本的に性質の違う現実に起こった史実を、
「ギルガメシュの竜退治に、なぞらえた記録だ」と言うのが、
最も正しい表現である。
アジサカはインドネシヤ語には類例のない名である。
ところが日本には、そのままの名の人物が『記・紀』に登場している。
それは阿遅鉏高日子根で、
これが<アレクサンドロス>への当て字であることは、
既によく御存知の名乗りである。
この鉏の字は我が国の古音では<サカ>とも読む。
インドネシヤのこの伝説は、
日本から伝えたものであることは疑いない。
するとこの<スサノオ>は、
幾人もいる<スサノオ>のうち、
どの<スサノオ>か、
その実体が、この名によって明らかになる可能性が見えてくる。
オリエントとの交流は一方通行ではなくて、
文化をもった人々の往来が激しかったという証拠にもなる。
もう少し詳しく考察してみよう。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『言語復原史学会:画像』
『My ブログ』
古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ
古代史の画像
ネット歴史塾
古代史ブログ講座
ネット歴史塾
ひねもす徒然なるままに
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
『検索』
GoogleWeb検索
Google画像検索
YahooWeb検索
Yahoo画像検索
翻訳と辞書
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿