ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年6月24日日曜日
伊弉諾・伊耶那岐は、戦の君=軍君
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録29:23頁
《伊弉諾・伊耶那岐は、戦の君=軍君》
「伊弉諾・伊耶那岐は、戦の君=軍君」
『日本書紀』の<活目入彦五十狭茅>は、
卑弥呼政権を倒して邪馬壹に都した垂仁天皇=位宮だが、
『魏書倭人章』が帯方郡使の耳にした正確な発音を書き遣している。
それは最高官を「伊支馬」と当て字している。
これは当時の漢魏音で「イチマ」としか読めない。
それは<活目>という当て字と同じものなのだから、
この<活>は<イチ>、
<目>は<マ>と発音しなければならない。
<イキ>と発音する<活>を<イチ>と発音するのは沖縄語だ。
では<イチマ>とは何か?
それが壹国(いちマ)であることは一目瞭然である。
入彦は婿を意味するから壹国の婿、
すなわち壹與女王の夫である。
この<壹>国はマレー語読みで
<壹>=<サツ>、<国>=<マ>で<サツマ>・<薩摩>である。
残る<五十狭茅>は<イッサンキン>=戦の君=軍君の
沖縄発音<イーサーチヌ>である。
前任者の五十狭芹(サキン)は
鹿児島語で<イッサンキン>への当て字、
<イキュウ>は
琉球の朝鮮語訛りで、
沖縄発音では<イチユウ>=壹與だから2つは同じ名乗りなのである。
『魏書倭人章』の記録がいかに精密で確実なものかよく判る。
この戦の君は
大隅発音では「イッサナキン=イサナキの」である。
スサノオ>と<ホムツワケ>は「いさ泣き」に泣いたと書いてあるが、
それを仇名にするのは支配者たち対して余りにも失礼だし、
2人が自身で「いさ泣き」を名乗りにすることも絶対にない。
<伊弉諾>・<伊耶那岐>の真意は、
この戦の君=軍君=戦の王(イサナキ)以外には絶対にない。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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