ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年6月4日月曜日
卑弥呼は、但馬太耳の娘・麻多鳥?
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録29:13頁
『卑弥呼は、但馬太耳の娘・麻多鳥?』
「卑弥呼は、但馬太耳の娘・麻多鳥?」
これらの名乗りが全て仲哀天皇のものだと判ると、
卑弥呼の夫として、非常に貴重な発見になる。
その系譜や事跡が合うか?
相互関係を確かめてみなければならない。
簡単に要点を挙げて比較してみよう。
仲哀天皇 天日槍 卑弥呼 神宮皇后
1 日本武尊の第2子 新羅王子
2 妻 気長足姫 但馬太耳の娘・麻多烏(マタオ) 孝霊・太瓊天皇の娘 息長宿祢の娘
3 若狭の角鹿に行事 播磨・淡路・若狭に行く 巴利国が女王国首都 三韓へも行く
4 若狭から九州に移る 若狭から但馬に移る (播磨は後世の巴利国人の移動先)
(若は稚(チ)ヌ国=沖縄、狭(タンネ)・但馬(種子国(タジマ))・太瓊(タニ)は、みな種子島)
ここで一番重要なのは、但馬太耳の娘・麻多烏である。
卑弥呼は天照大神として宇治山田に祭られ、その遺跡は内山田の地名を残している。
だから<麻多>は<アサダ>ではなく<ヤ>が欠けているのだから、
<ヤ>麻多=山田。八麻多=八俣。残る<烏>=<オ>は、<オロチ>=大蛇の<オ>だったのである。
八俣大蛇とは、単なる比喩ではなく、
この名から生まれた合理的な名詞だったことがこれでわかり、
それを討った<スサノオ>が邪馬壹国天皇・垂仁だったことも動かなくなる。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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