ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年6月28日木曜日
かつて考えられたことのない『住』の真意は?
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録30:5頁
《かつて考えられたことのない『住』の真意は?》
「かつて考えられたことのない『住』の真意は?」
主食の話のついでに今度は『住』の話をしよう。
といっても、
これは『魏書倭人章』中にある
『住』の文字の、
かつて考えられたこともない「真意」は、どういうものだったかを、
確実に定義する、重要きわまりない文字なのである。
卑弥呼が出現する前の倭国について、
『魏書倭人章』は、
「其 国 本 亦 以 男子 為王 住 七 八十年」と書き始める。
三品彰英氏の編著『邪馬台国研究総覧』の解釈は
*この「住七八十年」の一句は、
従来「住すること七八十年」あるいは
「住(とど)まること七八十年」と読み、
それを上文に記された「其国本亦以男子為王」に
かけて理解しようとしてきた。
しかしこれに対して植村清二は、
住は往の誤りであろうと推定し、
榎一雄もまたこれに賛同して、
菅政友の「ソレヨリ前七八十年」の解釈をもって妥当と考えた。
井上光貞もまた末松保和の教示に基づき、
南北朝時代の金石文には
しばしば行人偏を人偏に作る用例が見られるので、
住はすなわち往で、ともに同意であるとした。
住を往と解するとき、当然「住七八十年」は後文に係り、
卑弥呼の即位以前七八十年ということになる。
卑弥呼が盛んに通魏した時代が240年代であるから、
それから七八十年さかのぼればちょうど
「桓霊間」にあたり『後漢書』の記事と一致する*
と結論している。
『参考』
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『言語復原史学会:画像』
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