2012年6月10日日曜日

国名で判る『記・紀』の資料が書かれた時代差



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録29:19頁

 《国名で判る『記・紀』の資料が書かれた時代差
 「国名で判る『記・紀』の資料が書かれた時代差

 しかし『日本書紀』も、

 これほどではないが無知さを暴露している部分がある。

 この事実を総合して考えると、

 『記・紀』の編集者らは正確な史実を知らず、

 寄せ集めた資料を何とか継ぎはぎしたのだが、

 それは原典ごとに異なる当て字や名乗りや通称があつて、

 まるで別人のように見えたり、

 国名などもまた様々に相違していたのだと判る。

 だが逆にそのお陰で、その史料がどんなものだったか判る。

 都怒我阿羅斯等らの記事がその最もいい例で、

 新羅と書くものは、うんと後世の史料。

 任那は『日本書紀』に新羅の南の海にあると明記してあるから

 卑弥呼当時は狗邪韓国なので、

 これも後世のもの、

 意富加羅は仲哀天皇を<ツルカルニン>を

 誤写した都怒我阿羅斯等と書くから、

 古い資料を使っているが、

 任那の由来を御間城天皇の名から来ているとコジつけ解説しているし、

 その仲哀が垂仁天皇の時代までいたと書くのだから、

 その阿羅斯等が

 卑弥呼が倭国の女王に共立される前に死んだ

 彼女の夫・仲哀天皇の別名だなどとは想像さえできないでいる。

 これもまた後世のものである。

 このことで忘れてならないのは

 『古事記』が見せる『日本書紀』への反感の強さだ。

 せっかく書紀が良い当て字でソナカを旨く表現しているのに、

 わざわざ帯中に書き改めている事実は、

 『古事記』が書紀に激しい反感をもったために、

 後から作った本なのだという、動かない証拠なのである。

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
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