ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年6月3日日曜日
スサノオ=荒む王=都怒我阿羅斯等
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録29:12頁
『スサノオ=荒む王=都怒我阿羅斯等』
「スサノオ=荒む王=都怒我阿羅斯等」
『記・紀』の崇神・垂仁、両天皇の部分に
都怒我阿羅斯等・<ツノガアラシト>=角がある人=<ツルカルニン>。
蘇那曷叱智・<ソナカシチ>=牛の頭(ソノカシタ)=牛頭天王=ソナカ天皇=
足仲彦(ソナカヒコ)天皇=仲哀天皇。
天の日矛(ヒホコ)(日槍)=ヒホコ→シホコ→チヒコ=
天の稚彦が、海外からやってきたという話が編集されている。
在来はこれらは別人扱いされてきたが、
すべて同一人の名乗りであることは、
すでにこの講座でよく御存知である。
この<ソナカ>は<息長>、<足仲>と当て字されて、
それに帯姫を加えたものは<神功皇后>の名乗りになっている。
<姫>は漢音「キ」で沖縄大隅発音では「チ」だから
息長之(シ)姫(キ)はソナカシチと読めるし、
<彦>も<日木>と書くと<ヒキ>→<シチ>と読める。
天の稚彦が
これらの別名の持ち主=仲哀天皇で若い卑弥呼の夫だったことは動かない。
このうちの<ツルカルニン>は間違いなく
<アレクサンドロス大王>の称号の一つとして、
世界に知られた名乗りである。
都怒我阿羅斯等はそれをツヌガアル人と誤読した当て字である。
だとすると稚彦の死後、
弔問に現われた
阿遅鉏高日子根=阿爾鉏高日子根(アレクサンドロス)の事件は、
この大王の名乗りの後継者が2人いて、まぎらわしかったというのが、
史実としての真相だとわかる。
『記・紀』には欠けているが、
その荒々しい王が「荒む王(スサノオ)」の一人であり、
それがスサという地名から、
「荒(すさ)む」という
日本語の形容詞が生まれた可能性も示唆している。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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