2012年6月3日日曜日

スサノオ=荒む王=都怒我阿羅斯等



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録29:12頁

 『スサノオ=荒む王=都怒我阿羅斯等
 「スサノオ=荒む王=都怒我阿羅斯等

 『記・紀』の崇神・垂仁、両天皇の部分に

 都怒我阿羅斯等・<ツノガアラシト>=角がある人=<ツルカルニン>。

 蘇那曷叱智・<ソナカシチ>=牛の頭(ソノカシタ)=牛頭天王=ソナカ天皇=

 足仲彦(ソナカヒコ)天皇=仲哀天皇。

 天の日矛(ヒホコ)(日槍)=ヒホコ→シホコ→チヒコ=

 天の稚彦が、海外からやってきたという話が編集されている。

 在来はこれらは別人扱いされてきたが、

 すべて同一人の名乗りであることは、

 すでにこの講座でよく御存知である。

 この<ソナカ>は<息長>、<足仲>と当て字されて、

 それに帯姫を加えたものは<神功皇后>の名乗りになっている。

 <姫>は漢音「キ」で沖縄大隅発音では「チ」だから

 息長之(シ)姫(キ)はソナカシチと読めるし、

 <彦>も<日木>と書くと<ヒキ>→<シチ>と読める。

 天の稚彦が

 これらの別名の持ち主=仲哀天皇で若い卑弥呼の夫だったことは動かない。

 このうちの<ツルカルニン>は間違いなく

 <アレクサンドロス大王>の称号の一つとして、

 世界に知られた名乗りである。

 都怒我阿羅斯等はそれをツヌガアル人と誤読した当て字である。

 だとすると稚彦の死後、

 弔問に現われた

 阿遅鉏高日子根=阿爾鉏高日子根(アレクサンドロス)の事件は、

 この大王の名乗りの後継者が2人いて、まぎらわしかったというのが、

 史実としての真相だとわかる。

 『記・紀』には欠けているが、

 その荒々しい王が「荒む王(スサノオ)」の一人であり、

 それがスサという地名から、

 「荒(すさ)む」という

 日本語の形容詞が生まれた可能性も示唆している。

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
 『言語復原史学会:画像』

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