2012年6月12日火曜日

種子島広田遺跡で出土した女王用のカメオ



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録29:21頁

 《種子島広田遺跡で出土した女王用のカメオ
 「種子島広田遺跡で出土した女王用のカメオ

 『古事記』は開巻第一に皇祖を「天の御中主神」と書いた。

 これが

 美智能宇斯=道の大人(うし)=『神武天皇紀』の道の臣の命、

 語源=美紐縫・<ビシェヌウ>神で、

 神武天皇=垂仁天皇(高句麗の山上王・位宮)を高句麗で救け、

 琉球へ連れ戻した種子島×高句麗海軍の総帥だった人物である。

 その別名は豊玉彦。

 <豊玉姫の父>で、

 垂仁天皇は彦日日出見の尊、

 娘婿だから「入彦=入り婿」を名乗るのである。
 
 しかし『記・紀』はそれを男王制に書替え、

 彼の五人の娘・<日葉酢姫>=<壹與>らを後妻扱いしているが、

 本来の「倭=ウワイ」の<優婆畏>=女王制は

 <卑弥呼>以前から実在していたことがわかる。

 南種子町・広田遺跡出土のギリシャ文字を装飾化した

 貝製のカメオ細工は、

 ギリシャの女神アテナ像や、

 インドの仏像類にみるものと共通のもので

 女性祭祀王の身体装飾品とみるしかない。

 男王制は後のもの名のである。

 貝細工カメオは地中海で発展したもので、

 道の大人が率いていたのはギリシャ海軍の流れを受け継いだもの、

 海神<ポセイドン>が<百済出水>(後に出雲)という国名を生んだのも、

 道の大人がビシュヌウ神を名乗り、

 卑弥呼がペマカ「愛」、

 それがマレー語で<カシー>と呼ばれて、

 香椎・観世音(カシイ)と当て字されたのも、

 すべてギリシャ・インド文明が

 沖縄から種子島を経て、

 南九州に上陸した史実を、

 疑いようもなく立証している証拠群なのである。

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
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