ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年6月12日火曜日
種子島広田遺跡で出土した女王用のカメオ
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録29:21頁
《種子島広田遺跡で出土した女王用のカメオ》
「種子島広田遺跡で出土した女王用のカメオ」
『古事記』は開巻第一に皇祖を「天の御中主神」と書いた。
これが
美智能宇斯=道の大人(うし)=『神武天皇紀』の道の臣の命、
語源=美紐縫・<ビシェヌウ>神で、
神武天皇=垂仁天皇(高句麗の山上王・位宮)を高句麗で救け、
琉球へ連れ戻した種子島×高句麗海軍の総帥だった人物である。
その別名は豊玉彦。
<豊玉姫の父>で、
垂仁天皇は彦日日出見の尊、
娘婿だから「入彦=入り婿」を名乗るのである。
しかし『記・紀』はそれを男王制に書替え、
彼の五人の娘・<日葉酢姫>=<壹與>らを後妻扱いしているが、
本来の「倭=ウワイ」の<優婆畏>=女王制は
<卑弥呼>以前から実在していたことがわかる。
南種子町・広田遺跡出土のギリシャ文字を装飾化した
貝製のカメオ細工は、
ギリシャの女神アテナ像や、
インドの仏像類にみるものと共通のもので
女性祭祀王の身体装飾品とみるしかない。
男王制は後のもの名のである。
貝細工カメオは地中海で発展したもので、
道の大人が率いていたのはギリシャ海軍の流れを受け継いだもの、
海神<ポセイドン>が<百済出水>(後に出雲)という国名を生んだのも、
道の大人がビシュヌウ神を名乗り、
卑弥呼がペマカ「愛」、
それがマレー語で<カシー>と呼ばれて、
香椎・観世音(カシイ)と当て字されたのも、
すべてギリシャ・インド文明が
沖縄から種子島を経て、
南九州に上陸した史実を、
疑いようもなく立証している証拠群なのである。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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