2012年6月5日火曜日

天皇家が種子島出身であることは動かない



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録29:14頁

 『天皇家が種子島出身であることは動かない
 「天皇家が種子島出身であることは動かない

 その父・但馬太耳(タジ)と、

 孝霊天皇の「太瓊(タニ)」が同じものであることも

 「二・児」の発音に<ジ>とがあることを知っていれば簡単に理解できる。

 それは<種子島>を<タジガシマ>と読む人と、

 沖縄発音で「タニガジマ」と呼んだ人の差である。

 天皇の名乗りの最後は都の地名であることは

 倭の五王の名乗りで

 讃は讃岐、

 珍は<チヌ>=淡路島の津名、

 興は河内、

 武は高市と揃っていて明らかだから、

 これで孝霊天皇は種子島に都していたのだと、確認できたのである。

 後に天武天皇が種子島人を特別待遇し、

 世人も

 「橘(種子国人(タチバナ))は、己(おの)が枝々実(な)れれども、

  (自分の利益を追及して、どんなにひどく闘争していても、

  最後には結局)一つ緒に貫(ぬ)く。

  (種子島人だけで固める)」

 という戯(ざ)れ歌

 (批判歌謡=河内音頭のような、当時の流行歌)が流行ったと

 『日本書紀』が書くほどに、

 大和政権の中枢は種子島出身者が独占していた。

 それはこの孝霊天皇→卑弥呼以後も、

 垂仁天皇=卑弥呼の弟・稚武彦、壹與(赫夜姫・神功皇后2)、

 応神天皇→仁徳(讃)系天皇たち、

 継体天皇(応神天皇5世孫)から斉明天皇までの倭国天皇が、

 紆余曲折はあるが、

 <種子島系の豊玉姫の子孫>であることは、

 世人が明瞭に認めていた事実だとわかる。

 そして天智天皇も天武天皇もまた、

 その資格には欠けていなかったことが確認できる。

 天皇家が種子島出身であることは動かない事実なのである。

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
 『言語復原史学会:画像』

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 《参考》
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1 件のコメント:

竹田はるみ さんのコメント...

2012年11月種子島の実家(母)に会いに行った際、お寺(信光寺)を訪ね日高家の先祖のみ祀られていることを知り、今まで何か説明できない予感みたいなものを感じていたのでこれから古事記や日本書紀を読み、自分の先祖について調べてみようと思いパソコンを開いて見ていたらこちらのページにたどり着きました。先月母の様子を見に行った際墓参りに行き墓が昔からの場所にあることやガロー山と言われていたり大きな桜の木など沢山の木があることが解ったことなど、を知り、ほんとに驚いています。私の年齢62歳でパソコン最小限使えます。先祖は何も教えててはくれなかったし父親自身も何もわからないまま亡くなったと思います。何か参考になるような書物など知らせてもらえたら有難いです。突然のメールお許しください。よろしくお願いします。
    
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    竹田はるみ