2012年6月30日土曜日

皇室はシュメル起源だと語る多くの遺物群



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録30:8頁

 《皇室はシュメル起源だと語る多くの遺物群
 「皇室はシュメル起源だと語る多くの遺物群

 <主馬>は<シュメル>に対する巧妙な当て字なのである。

 それも現在の<シュメリョウ>のほうが、

 より語源の発音に近いのも面白い。

 <スメラギ>、

 <スメラミコト>、

 <スべル>、

 <スメル>だけでなく。

 住、済、壷、炭、隅、角、寿美、鷲見、須磨など、

 皇室の伝統のシュメル起源を語っている。

 「スム」は「清む」だから、

 スサノオが出雲で

 結婚した媛の父「須賀(清)の八耳」一族もまた

 「清める人=スメル人」だったのである。

 それはさらに政権委譲が<大国主国譲り>が教える通り、

 死闘によるものではなく、

 平和裏に融合することで収まって、

 婚姻や養子縁組による合体で、

 血の繋がりを絶たなかった事実を裏書きしている。

 それは当然で、

 国家の起源は古い方がいいから

 『記・紀』も建国を神代だと主張したのである。

 それを遥か後世の神武天皇時代に引きずり下ろして

 建国記念日を制定した連中は国民の敵なのだ。

 だがこのお話はまだ終わりではない。

 「スム、スミ」は「済む、済み」だから

 倭王・済もこの伝統名を名乗ったのである。

 彼は和泉を倭済(いずみ)と名乗ったが、

 そこは住江に隣接している。

 マルセイユの例のように

 <L音>は<Y音>に変わるから

 沖縄ではスメルはスミユーになる。

 奄美の住用村はその当て字で、

 それが住吉になり、スミエ・住江・墨江と変ったもの。

 彼は後世の肩書なら「スメルの守(かみ)」と名乗ったのである。

 それは一体?何故だったか?。

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
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