ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年6月25日月曜日
ツルカルニンとアレクサンドロスの名乗りの哲学
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録29:25頁
《ツルカルニンとアレクサンドロスの名乗りの哲学》
「ツルカルニンとアレクサンドロスの名乗りの哲学」
これがわかると<ソナカ>=仲哀天皇=<稚彦>が、
敢えて<ツルカルニン>を名乗ったのは、
敬愛するアレクサンドロスの遺志、
人類の到達すべき大理想を継いで、
世界を真の<八紘一宇>にするのが
自分に課された使命であり天命だという、
大決意の表明だったのである。
彼の日本列島入りは、
そのために釈迦の思想を世界に普及するという
アソカ王の命令によるが、
彼自身がその理想を自らのものにしていたことを、
その名を選んだ事実で明確に立証している。
恐らく<卑弥呼>もそれに感動して彼の求愛を受け入れたのである。
それが倭国五彩圏を永続させて強大国の魏を恐れさせ、
「親魏倭王」という希に見る優遇をやむなくさせたのであり、
他に比類をみない記録的な長寿政権『天皇制』を、
現在まで発展維持させたのである。
だが不幸にも<稚彦>は若死にしてしまった。
その喪を弔いに訪れたのがアレクサンドロスを名乗る人物だった。
それを遺族は「稚彦が蘇った!」と大喜びするが、
彼は激怒して喪屋を斬り倒して行ってしまう。
これが比喩であることは一見して解るから、
愛と平和を説く稚彦政権が倒れた後に訪れたのは、
侵略者アレクサンドロス型の武力政権だったことを意味するとみると、
卑弥呼政権を倒した位宮=垂仁天皇こそ、
その阿爾鉏高日子根(アレクサンドロス)だと、
この物語の真意が完全に読み取れる。
それは子供だましの民話などではなかったのである。
『参考』
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