ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年6月25日月曜日
『愛の八紘一宇』の象徴、ツルカルニンの名乗り
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録29:24頁
《『愛の八紘一宇』の象徴、ツルカルニンの名乗り》
「『愛の八紘一宇』の象徴、ツルカルニンの名乗り」
こうして天の稚彦物語の真相から総てが解けて違和感が残らない。
この事実は伝説伝承もまた重要な
『言語文化財』だという証明なのである。
それらを『神話』と呼び、
物語だけが伝わって広く分布したのだと唱え続けてきた
『神話学』という学問は、
この事実を破壊して迷路に引き摺り込む罪を犯すことしかできなかった。
それが行なった「分布調査」は確かに役にたったが、
それで軽々しく下した定義は、
私たちと祖先には敵の働きしかしなかった。
それは太古からの人の移動の実態が、
どんなに大規模で凄いものであり、
また人類は超古代から高い文化をもっていたという事実を
知らなかった無知に根差している。
何故?神話学が、
これまで『記・紀』の「神話?」をロクに解明できず、
かえって欧米の学者の日本人蔑視を助長し、
私たちに不快感を与えてきたのか、
その理由と実態がよくお判り戴けたと思う。
それだけでなく、
天の稚彦物語には、
思想史的に、もっと深いものがあるのである。
<稚彦>は<都怒我阿羅斯等>=<ツルカルニン>を名乗ったが、
この名はシュメル語から出たものでギリシャ語ではない。
それをアレクサンドロス大王が、
わざわざ名乗った理由は、
彼がペルシャ皇帝を破って母の夢見た
『愛の八紘一宇』の第1歩をしるした記念として、
あえて敗戦国の神名を新しい国民のために名乗ったのである。
彼の純粋な心情を見落としてはならない。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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