ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年6月29日金曜日
シベリヤ命名の時期とシュメル人の居住証明
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録30:7頁
《シベリヤ命名の時期とシュメル人の居住証明》
「シベリヤ命名の時期とシュメル人の居住証明」
これは
「スメル人=住める人(現代語なら、住んでいる人)=国民」を意味するから、
住むという日本語が生まれたのは、
シュメル人政権時代のことだったとわかる。
また「スベル=滑る」だから、
いま試験に落ちることを「滑る」ということを考えると、
スメル人は統治者の地位を失ったことから
「滑る」という日本語が生まれたこともわかる。
その不様(ぶざま)な様子から、
ぬかるみなどで滑って尻餅をつくことも
また「滑る」という言葉で表現することになり、
氷で滑るのが日常の北国で、
凍結で滑るという意味に多用されたから、
そちらのほうが一般化したとみると、
滑るを語源にして、
滑る土地という意味でシベリヤという地名が生まれたのは、
その政権喪失以後のことになる。
それはギリシャ人の強力な勢力が政権移譲を迫ったからだということも、
スサノオの政権追放や大国主の国譲りとして
記録されているから現実にあったことで、
アレクサンドロス東征後、
あまり時間の経たない時期、
弥生時代の初めだったことは動かない。
ではシュメル系の人は完全に排除されたのか?。
『大宝令』の官制をみると、
春宮(東宮)に「主馬署(しゅめしょ)」が設けられて
馬や馬具を管理したことが紀録され、
アラブ馬の産地を故郷にもつ人たちが、
その特技活かして勤務した様子が眼にみえる。
そして今も宮内庁には、
馬事と車両を管理する「主馬寮(しゅめりょう)」がある。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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