2014年8月30日土曜日

大国神と大物主神(5)

 浦和レッズレディース
 『Yahoo!天気・災害』
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:729頁

 第十二章 大国神と大物主神

 大国神と大物主神(5)

  『古事記』は

 「大国主命、亦の名は大穴牟遅神、亦の名は葦原色許男命と謂ひ、

  亦の名は八千矛神と謂ひ、亦の名は宇都志国玉神と謂ひ、

  併せて五っの名あり」として

 大物主神の名は含ませていなない。

  出雲国造神賀詞は「大物主」の名称を次のように述べる。

  乃ち大穴持命の申給く、皇御孫の命の静り坐(まさ)む

  大倭国と申して、

  己(おのれ)命の和魂(にぎたま)を八咫鏡(やたのかがみ)に取り託て、

  倭大物主櫛甕玉命と名を称して、大御和の神奈備に坐す。


  ここに「御諸山の上に坐す神」が

 大物主神(倭大物主櫛甕玉命)であることが明らかになる。

 『古事記』に同神名が登場するのは神武天皇の皇后選びの段に

 「美和の大物主神」が

 天皇の皇妃富登多多良伊須岐比売命の父として現れ、

 崇神天皇条で疫病が流行り人民が疲弊した時、

 悩む天皇の神牀(とこ)にいた夜に夢の中に大物主神が現れ、

 意富多多泥古を探して、

 「御諸山に意富美和の大神の前を拝き祭ら」すことを伝える。

 『古事記』は意富多多泥古は大物主大神五世の孫という。


《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ 

2014年8月28日木曜日

大国神と大物主神(4)

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:728頁

 第十二章 大国神と大物主神

 大国神と大物主神(4)

  この状況について『日本書紀』は次のように語る。

   時に神(あや)しき光海に照らして、

  勿然(たちまち)に浮かび来る者あり。

  「如(も)し吾在らずは、

  汝何ぞ能く此の国を平(む)けましや。」

  是の時に、大己貴神問ひて曰はく。

  「然らば汝は是誰ぞ」とのたまふ。

  対(こた)へて曰はく、

  「吾は是が幸魂奇魂(さきたまくしたま)なり」といふ。

  大己貴の曰はく「唯然(いひ)なり。

  廼(すなわ)ち知りぬ。

  汝は是吾が幸魂奇魂なり。

  今何処にか住まむと欲(おも)ふ」とのたまふ。

  対(こた)へて曰はく、

  「吾は日本(やまと)国の三諸山に住むと欲ふ」といふ。

  故、即ち宮を彼処に営(つく)りて、就(つ)きて居しまさし。

  此大三輪ノ神なり。

  ここでも

 「神しき光海に照らして忽然に浮かび来る者」を

 大己貴神の幸魂奇魂として、

 三輪山に住む大三輪神としてその尊名を明さない。

 しかし、その一書は次のように記して、

 大物主神の名称を記載する。

   大国主神、亦の名は大物主神、亦は国作大己貴命と号す。

  亦は葦原醜男と号す。

  亦は八千戈神と曰す。

  亦は大国主神と曰す。

  亦は顕国玉神と曰す。


《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
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 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年8月23日土曜日

大国神と大物主神(3)

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:727頁

 第十二章 大国神と大物主神

 大国神と大物主神(3)

   是に大国主命神、愁ひて告りたまひしく、

   「吾独(ひと)りして何に能(よ)く此の国を得作らむ。

    執(いず)れの神と吾と、能く此の国を得作らむや。」

   とのりたまひき。

   是の時に海を光(てら)して依り来る神ありき。

   其の神の言(の)りたまひしく、

   「能く我が前を治めば、吾能く共與(とも)に相作り成さむ。

    若し然らば国成り難けむ。」

   とのりたまひき。

   爾に大国主神曰ししく、

   「然らば治め奉る杖は奈何(いかにぞ。」 

   とまをしたまえば、

   「吾をば倭の青垣の東の山の上に伊都岐奉れ。」

   と答へ言りたまひき。

   此は御諸山の上に坐す神なり。

  『古事記』は、

 この「海を光して依り来る神」の尊名を語っていない。

 ここで解かるのは「御諸の山の上に坐す神」

 ということだけである。


《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

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、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年8月21日木曜日

大国神と大物主神(2)

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:726頁

 第十二章 大国神と大物主神

 大国神と大物主神(2)

 祭神の大己貴神は大国主神をいう。

 この三祭神の関係を『古事記』は次のように物語る。

   大国主神、出雲の御大(みほ)の御崎(みさき)に坐す時、

  波の穂より天の羅摩船(あめのかがみぶね)に乗りて、

  鵝の皮を内剝(うちは)ぎて衣服に為(し)て、帰り来る神有るりき。

  爾に其の名を問わせども答えず、

  且所徒(みとも)の諸神に問はせども皆「知らず」と曰(もう)しき。

  (…略)久延毘古(くえびこ)を召して問わす時に、

  「此は神産巣日神の御子少名毘古那神ぞ。」と答へ曰しき。

  「此は実に我が子で、子の中に我手俣より久岐斯子ぞ。

   故、汝葦原色許男と兄弟となりて、其の国を作り固めよ。」

  とのりたまひき。

  故、爾れより大穴牟遅と少名毘古那と二柱の神相並ばして、

  此の国を作り堅めたまひき。

  然て後に其の少名毘古那神は常世国の度(わた)りましき。


  少名毘古那神は少彦名神、大穴牟遅命は大国主神である。

 ここに明らかにみえるのは、

 大国主神が先住土着の神であるのに対して、
   
 少彦名神が外来神であることである。

 少彦名神が大国主神の言葉を解せず、

 「女の名を問はせても答えず」とあり、

 諸神も皆「知らず」と答えた理由である。

 二神は「相並ばして」建国の業をなしたが、

 その後、少彦名神は常世国、

 つまり外国へまた渡って行ってしまったという。
 
 『古事記』はさらに続ける。


《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

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2014年8月20日水曜日

大国神と大物主神(1)

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:725頁

 第十二章 大国神と大物主神

 大国神と大物主神(1)

  鎌倉時代嘉禄2年(1226年)の大神神社の社伝

 「大三輪鎮座次第」に次のようにある。

   当社古来宝庫無く、唯三箇鳥居有るのみ。

   奥津磐座大物主神、

   中津磐座大己貴命、
 
   辺津磐座少名彦


  大神神社は、現在の奈良県桜井市三輪に鎮座し、

 三輪山を神体山とするという古社である。

 現在の祭神は、

 大物主神が主神で、大己貴神と少名彦を配祀している。

 同社は延喜式神名帳の城上郡に

 「大神大物主神社名神大」と記載されている。

 祭神の大己貴神は大国主神をいう。


《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

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2014年8月19日火曜日

埼玉・鹿島:剣持神の国(7)阿部氏の「多」⑪

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:724頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 埼玉・鹿島:剣持神の国(7)阿部氏の「多」⑪

  茨城県岩井市の「イワイ」も「伊波比」と同根である。

 ここは平将門の本拠地であったところである。

 岩井地区内に藤田神社(小字藤田)があるが、

 藤田は市内の冨田、辺田地区名と通じ「布都:剣」を表わす。

 藤田の東側の幸田(こうだ)は「サキタ」で śakti (剣)に依る。

 この幸田の東隣りが水海道市の大生郷で

 「尾生」あるいは「生尾人」に通じる。

 その大生郷の北側は結城郡石下町で、

 町内に阿部神社(豊田)が鎮座する。

 石下は「伊波我」とも読め、

 祖語が「剣」であったと考えられる。

 この地域からは少々離れているが、

 同県の栃木県境にある

 笠間市には石井(いしい)神社(石井)が鎮座するが、
 
 この名称は「イワイ」が古名であった。

 石井の南隣りは来栖で栗栖と同じ「剣」で、

 その東方の佐志能神社、大渕の佐城(佐白)、才木の祖語も

 śas-ti śakti である「剣」で、「イワイ」であったことを補足する。

 石井の近郊に大郷戸(おおごと)がる。

 大郷は大生郷と同義と考える。
 
 笠間市内には常陸風土記に載る「大神駅」があって

 三輪山を進行する人々がいたことを示す。

 同市の西方の真壁郡には大和村がある。

 村内には高久神社がある高久、大国玉神社のある大国玉、

 そして阿部田の地区名があり、

 阿部氏族の存在を覗わせる。

 大国玉神社は延喜式神名帳に真壁郡一座として同名で載り、

 大国主命を祭神する。


 鹿島郡鉾田町の「鉾」は矛で「二つの刃のある剣」である。

 町内には坂戸、鳥栖地区に黒栖神社が鎮座するが、

 黒栖は栗栖と同様で、この町名が「剣」に由来する状況が知られる。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

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 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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 牛頭を象った神社建築の棟飾部
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埼玉・鹿島:剣持神の国(7)阿部氏の「多」⑩

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:723頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 埼玉・鹿島:剣持神の国(7)阿部氏の「多」⑩

  また、同町内赤浜にある出雲乃伊波比神社は

 入間郡毛呂山町岩井の同名社の

 天穂日命に因む神社名で「伊波比」は「剣、刀」を表わす用語であり、

 神名の「穂」が「矛」であることを覗わせる。

 毛呂山町の出雲伊波比神社のある岩井は

 「伊波比」の転写であるが、

 同町の北側比企郡鳩山町の東端にある

 石坂、東松山市の岩殿は

 この伊波比が基礎になっていると見られる。

 両地区の間にある物見山は「物:布都・経津」に

 係わる剣が介在する。

 この地区の南側は坂戸市であるが、

 そこの石井は「岩井」であり、

 「坂戸」は埼玉 śakti-mat の śakti の音写、

 鹿島神宮の摂社坂戸社とおなじである。
 
 このように

 北武蔵には「剣」を地名とする里郷が散在しているのである。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

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 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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埼玉・鹿島:剣持神の国(7)阿部氏の「多」⑨

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:722頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 埼玉・鹿島:剣持神の国(7)阿部氏の「多」⑨

  埼玉県埼玉郡の西側の郡名大里郡は

 「多氏(生尾人)の里」とよいことが判った。

 大里郡大里村高本に高城神社、

 熊谷市宮町にも高城神社が鎮座する。



 この「高城」はサンスクリット語の 

 tarkuati の語幹 tark- を転訛させた神社名である。

 前者の近くには市田の地名があり、

 これも「智度」である citta である。

 また後者の神社は近郊に千形神社があり、

 千形(近津)は cikiṭṣa で「知識ある者」の意で tark- に相当する。

 熊谷市の西隣り深谷市西島及び宿根の滝宮神社はこの系列に入る。

 大里郡内の寄居町保田原の「波羅伊門神社」と同町西ノ入の

 「波羅伊門神社」は双方とも
 
 brahman (神聖な知識を得た者) の転訛で、

 一般にバラモンといわれる祭官を表わす用語である。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

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 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
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埼玉・鹿島:剣持神の国(7)阿部氏の「多」⑧

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:721頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 埼玉・鹿島:剣持神の国(7)阿部氏の「多」⑧

 出雲郷の東隣の揖屋町は「生尾」と通じ、

 意宇が大国主命を奉祭した

 富氏の勢力範囲であったことを示す。

 富氏の奉祭する出雲井神社は

 現在出雲大社の地に出雲国造の創設後に

 移されたことはよく知られるところである。

 簸川郡簸川町に現在富村(とびむら)があるが、

 その地は斐伊川の湾曲した位置にあり、

 川(水)に巻かれる地形にあるが、

 古くは斐伊川と宍道湖の間にあった。

 その西北側に出雲国風土記にもある鳥屋神社が鎮座する

 鳥井地区がある。
 
 これは dvi-ja の転訛で、

 桜井市の外れ、磯城島とその様子がよく似ている。 

  以上のような考察から、

 大彦命の系譜では稲荷山古墳の鉄剣に現れる

 「多」は、神八井耳命を祖とする「意富臣」系列とは全く違う。

 
 大和盆地にいた最も古い(太初)氏族「生尾人」の系列にあるものと

 知ることができるのである。

 因みに出雲風土記「出雲郡」の最後に記述されている

 役職者名の中に「少領外従八位下太臣」とある。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

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 Tell Arpachiyah (Iraq) 
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 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年8月16日土曜日

 埼玉・鹿島:剣持神の国(7)阿部氏の「多」⑦

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:720頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 埼玉・鹿島:剣持神の国(7)阿部氏の「多」⑦

  三輪山の東側にある「出雲」が示すように

 三輪山の大己貴命(大国主命)の信仰には

 現在の島根県の出雲族とも深い係わりがある。

 杵築大社(出雲大社)の古い奉祭氏族である富(とび)氏は

 登美毘古の「トビ」と同声であるが、

 その関係は史料ではよく解らない。

 しかし、現在の松江市、八雲村、東出雲町の辺りは

 かっての意宇郡であり、意宇は「於保」と訓まれ、

 その祖を桜井市の「生尾人」と同じくするものとみられる。

 東出雲町の出雲郷は現在でも「アダカエ」と呼ばれている。

 域内に阿太加夜神社が鎮座し、

 地名呼称はその神名に依るものではあるが、

 意宇に居住した種族がアダカエ、サンスクリット語の

 ādi-gaya(太初の種族)と解釈できるからである。

 同社の祭神は出雲国風土記に載る

 「阿陀加夜努志多伎古毘売命」で、

 簸川郡多伎町の多伎神社(多伎)、

 多伎芸神社(口田儀)に祀られている。

 阿陀加夜努志は「太初種族の主」で、

 出雲神話を考えれば「大国主命」を謂っていると考えられる。

 多伎(多岐)は解説を除くが、「生尾人」であり、

 芸とは邇邇芸命の「芸」と同じく古くは勾玉であったが

 後には竹玉(たかたま)と変化した祭儀のための供献物を表わす。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

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2014年8月15日金曜日

埼玉・鹿島:剣持神の国(7)阿部氏の「多」⑥

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:719頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 埼玉・鹿島:剣持神の国(7)阿部氏の「多」⑥

  登美毘古が、阿部氏の本拠地に居たことは

 谷地区の東方桜井を隔てて

 外山(とび)があることにより推測できる。

 外山と表記して単に「トビ」と呼ぶ。

 これを「トビヤマ」と読むと、

 登美毘古の妹登美夜毘売の名称となる。
 
 「トビヤ」はサンスクリット語の dvi-ja で「鳥」を意味する。

 現在そこに鳥見山があることに係わる。

 dvi-ja の本義は「二度-生れる」で、

 親鳥から生れた卵から再度生れる理由から鳥をいうものである。

 この dvi(二、英語のtwo、ドイツ語のzwei)を

 語幹とした用語に dvipa がある。

 これまで jambu-dvipa (閻浮提)の構成用語として

 紹介したものだが、本義は dvi-apa で「二つの川」の間で

 「洲」を意味する「島」を表わす。

 桜井市はかっての磯城郡のうちで、

 外山の北半分は「磯城島」のうちにある。

 この「島」こそ dvipa(dvi-apa) である。

 三輪山の麓を流れる大和川と粟原川の

 二つ(dvi)の川(水:apa)の間の地の意味であり、

 「トビ」で登美毘古の本拠地と考えられる。

 外山と阿倍の近さから安部氏族は

 この登美毘古あるいは登美夜毘売の勢力を

 継承した勢力と判断してよいと思う。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ