2014年8月9日土曜日

 埼玉・鹿島:剣持神の国(7)阿部氏の「多」③

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:716頁

 第十一章 日本に祀られたインドの神々

 埼玉・鹿島:剣持神の国(7)阿部氏の「多」③

 第一の「吉野首」の吉野はいうまでもなく吉野郡のうちであり、

 第二の国栄は吉野町国栖にその名称を遺し、

 第三の忍坂は桜井市忍坂である。

 「生尾人」は、「オオ」または「オホ」と訓むことは可能で、

 この地域に「生尾人」が広く居住していたことを

 『古事記』は物語っている。

 『日本書紀』はこれを「有尾」(尾有り)とする。

 忍坂の東側は粟原であるが、

 同地区名は現在「オオハラ」と呼ばれる。

 それは「粟殿(おおとの)」も同様である。

 「尾生(おあ)る人」は

 シュメル文明の伝説のオアネスを思い出させる形容であり、

 それがインドへ入って

 yadava (水棲動物)族の avan-ti アヴァンティ となったことは

 第七章で述べた。

 神武東征軍を吉野山中で助けた八咫烏は音読すると

 ya-da-wu となるが、ここでは追求しない。

 「生尾人」は三輪山の大神神社の祭神

 大己貴神と直結していることに述べるに留めておきたい。

 粟原はサンスクリット語の āhāra の転写であり、

 その意義は「食物、糧、饌」を表わす。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建 築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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