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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:716頁
第十一章 日本に祀られたインドの神々
埼玉・鹿島:剣持神の国(7)阿部氏の「多」③
第一の「吉野首」の吉野はいうまでもなく吉野郡のうちであり、
第二の国栄は吉野町国栖にその名称を遺し、
第三の忍坂は桜井市忍坂である。
「生尾人」は、「オオ」または「オホ」と訓むことは可能で、
この地域に「生尾人」が広く居住していたことを
『古事記』は物語っている。
『日本書紀』はこれを「有尾」(尾有り)とする。
忍坂の東側は粟原であるが、
同地区名は現在「オオハラ」と呼ばれる。
それは「粟殿(おおとの)」も同様である。
「尾生(おあ)る人」は
シュメル文明の伝説のオアネスを思い出させる形容であり、
それがインドへ入って
yadava (水棲動物)族の avan-ti アヴァンティ となったことは
第七章で述べた。
神武東征軍を吉野山中で助けた八咫烏は音読すると
ya-da-wu となるが、ここでは追求しない。
「生尾人」は三輪山の大神神社の祭神
大己貴神と直結していることに述べるに留めておきたい。
粟原はサンスクリット語の āhāra の転写であり、
その意義は「食物、糧、饌」を表わす。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建 築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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