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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:714頁
第十一章 日本に祀られたインドの神々
埼玉・鹿島:剣持神の国(7)阿部氏の「多」①
稲荷山鉄剣に刻まれた上祖名意富比垝の「意富」や
第2代以下にある「多」名は、乎獲居の系譜が「多」と
称されていると推測させた。
だが、前記でみたように大彦命の系列には、
その父方である孝元天皇が神八井耳命を祖とする
『古事記』のいう「意富臣」と関係することはあるが、
といってその「多氏」とは全く結びつく要素がない。
しかし、
高屋安倍神社の祭神屋主彦太男心命の「太男」にもあるように、
阿部氏が「太」を持っていることは明らかで、
大彦命の「大」はその「太」を象徴していると考えられる。
そこで注目されるのが、
その遠祖登美夜毘売命、登美毘古命である。
両名は『古事記』の記載名で、
登美毘古は『日本書紀』では長髄彦と称される。
彼は神武東征において激しく反抗し、
この強大な勢力を現在の大和盆地に保持していたことが知られる。
神武天皇の遠征軍が
「浪速の渡を経て、青空の白肩津に泊(は)てたたまひき。
此の時、登美那賀須泥毘古、軍を興して待ち向へて戦ひき」
とある。
那賀須泥毘古は『日本書紀』の長髄彦であるが、
その名前は第八章インドの文化と祝祭「アヴァンティの種族」で
紹介した古代アヴァンティ国の氏族ハイハヤ族の一部族
tālajangha の名称に係わる。
その語義は「クーラ樹のような脚を持つ」、
つまり「脚が長い」であり、「長髄」である。
桜井市の西北の東磯城郡田原本町の「田原本」の
祖語であると考えられる。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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