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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:726頁
第十二章 大国神と大物主神
大国神と大物主神(2)
祭神の大己貴神は大国主神をいう。
この三祭神の関係を『古事記』は次のように物語る。
大国主神、出雲の御大(みほ)の御崎(みさき)に坐す時、
波の穂より天の羅摩船(あめのかがみぶね)に乗りて、
鵝の皮を内剝(うちは)ぎて衣服に為(し)て、帰り来る神有るりき。
爾に其の名を問わせども答えず、
且所徒(みとも)の諸神に問はせども皆「知らず」と曰(もう)しき。
(…略)久延毘古(くえびこ)を召して問わす時に、
「此は神産巣日神の御子少名毘古那神ぞ。」と答へ曰しき。
「此は実に我が子で、子の中に我手俣より久岐斯子ぞ。
故、汝葦原色許男と兄弟となりて、其の国を作り固めよ。」
とのりたまひき。
故、爾れより大穴牟遅と少名毘古那と二柱の神相並ばして、
此の国を作り堅めたまひき。
然て後に其の少名毘古那神は常世国の度(わた)りましき。
少名毘古那神は少彦名神、大穴牟遅命は大国主神である。
ここに明らかにみえるのは、
大国主神が先住土着の神であるのに対して、
少彦名神が外来神であることである。
少彦名神が大国主神の言葉を解せず、
「女の名を問はせても答えず」とあり、
諸神も皆「知らず」と答えた理由である。
二神は「相並ばして」建国の業をなしたが、
その後、少彦名神は常世国、
つまり外国へまた渡って行ってしまったという。
『古事記』はさらに続ける。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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